裸を見られるように、どきどきする。
今まで、ボディのラインや、その触感、見え方、などに気を配ってきた自分ですが、意外な盲点。
顔の素肌を晒すことには、全然意識が向きませんでした。
素肌に、目元は黒いマスカラ。
あるいは、素肌なのに、唇だけを赤く。
なんていう、自由で華やかなムードのメイクが醸しだすセクシーさへの憧れ、はなくもなかったのですが、自分には高度すぎて、試してみようとも思わなかった。
しかし。
このほど事情があって、
特別な場合を除き、普段はポイントメイクのみの、ファンデを塗らない、「素肌でいる自分」の演出を、試みることにしました。徐々にね。。
かなり自分には思いきった決断なのですけれど、というか、提案頂いて初めて決意したわけですけど、コンセプト新しくって、意外となかなかいいかもしれない。
この試みの実現をめざすにあたって、
「塗ってしまえば、隠れる」
のテクと逃げを一切手放す覚悟を持たざるを得ない、と新鮮に自覚しました。
この甘えがあるために、けっこうさぼれる部分てたくさんある。
やろうとしているのは、なげやりな「すっぴんでもいいや」ではなく、「素顔を美しく演出すること」なので、素肌顔を決意してから、より美容意識は高まりました。
目の下のくすみ、ケアナの状態、色むら、などなど、メイクアップグッズに甘え頼っていた対象が、こんなにたくさんある。
欠点を、隠すのではなく、克服しようとすることが、こんなに気持ちを引き締めさせるとは思わなかった。
これまでに増して入念な洗顔、
血行促進のマッサージ、
寝る前、起床後の入念な保湿、またそれとセットで、保冷剤を使った肌のひきしめ。
食べ物、飲み物、その中身に気を配る、・・・これは、顔色調整・むくみ対策として。
こんなところから、始めています。
また、UVケアはした上で、適度(5-10min/day)に陽光を浴びる習慣を持つこと、という指導を、主治医先生から受けました。
太陽の光から受ける精神的・肉体的な恩恵の偉大さは、数々証明されている通りですので、これも納得。
今回わかったこと。
一番の敵というか障害は、自分自身の心でした。
手順は簡単だし速いし、輪郭が変わるほどの厚化粧もしてないのだけど、
「メイクすると、自分、格段にきれいになる。」
と思う暗示の強さはすさまじくて、すっぴんだと、とたんに自信ない表情になります。
ちょっとの化粧レスで、雰囲気がガラッと変わって目の光が薄れ、ぶす度が増してしまう。
これってつまり、メイクしてない自分の顔を、全然認めてないわけです。
確かに、綺麗に見せるぞ!という気合だけは、並々ならず持っており、そのための執念深いまでのメイク研究を長きに渡って続けてきたわけですから、足場をすくわれるかのごとく方向を変えようとしている今は、無理ない抵抗なのだと思う。ウン・・・。
けれど。
顔立ちより、顔つき。
顔つきとは、気持ちの在りよう。メイクという、装飾という、隠れ蓑から出てくる、潔さを。
それは、無防備になることではなく、むしろその逆。意識を高めることです。
・・・そんなわけで、メイクをしないことで、精神を鍛え磨くこと、の現実化が、実感されつつあります。
オオゲサですけど、かなり、実感こもってます。
それくらい、わたしには修行度が高い。
素肌は、護るものではあるけれど、隠すこととイコールではない。
「隠そう」とする人々の心の根底は、どんな手段を取っているとしても、たいてい似通って、「自信の無さの隠蔽を」なのではないかしら?
どうか。自分なりに、魅力を持つ、怖いもののない顔に、なれますように!
photo... @Biarritz en 2005, au bord de la mer
今まで、ボディのラインや、その触感、見え方、などに気を配ってきた自分ですが、意外な盲点。
顔の素肌を晒すことには、全然意識が向きませんでした。
素肌に、目元は黒いマスカラ。
あるいは、素肌なのに、唇だけを赤く。
なんていう、自由で華やかなムードのメイクが醸しだすセクシーさへの憧れ、はなくもなかったのですが、自分には高度すぎて、試してみようとも思わなかった。
しかし。
このほど事情があって、
特別な場合を除き、普段はポイントメイクのみの、ファンデを塗らない、「素肌でいる自分」の演出を、試みることにしました。徐々にね。。
かなり自分には思いきった決断なのですけれど、というか、提案頂いて初めて決意したわけですけど、コンセプト新しくって、意外となかなかいいかもしれない。
この試みの実現をめざすにあたって、
「塗ってしまえば、隠れる」
のテクと逃げを一切手放す覚悟を持たざるを得ない、と新鮮に自覚しました。
この甘えがあるために、けっこうさぼれる部分てたくさんある。
やろうとしているのは、なげやりな「すっぴんでもいいや」ではなく、「素顔を美しく演出すること」なので、素肌顔を決意してから、より美容意識は高まりました。
目の下のくすみ、ケアナの状態、色むら、などなど、メイクアップグッズに甘え頼っていた対象が、こんなにたくさんある。
欠点を、隠すのではなく、克服しようとすることが、こんなに気持ちを引き締めさせるとは思わなかった。
これまでに増して入念な洗顔、
血行促進のマッサージ、
寝る前、起床後の入念な保湿、またそれとセットで、保冷剤を使った肌のひきしめ。
食べ物、飲み物、その中身に気を配る、・・・これは、顔色調整・むくみ対策として。
こんなところから、始めています。
また、UVケアはした上で、適度(5-10min/day)に陽光を浴びる習慣を持つこと、という指導を、主治医先生から受けました。
太陽の光から受ける精神的・肉体的な恩恵の偉大さは、数々証明されている通りですので、これも納得。
今回わかったこと。
一番の敵というか障害は、自分自身の心でした。
手順は簡単だし速いし、輪郭が変わるほどの厚化粧もしてないのだけど、
「メイクすると、自分、格段にきれいになる。」
と思う暗示の強さはすさまじくて、すっぴんだと、とたんに自信ない表情になります。
ちょっとの化粧レスで、雰囲気がガラッと変わって目の光が薄れ、ぶす度が増してしまう。
これってつまり、メイクしてない自分の顔を、全然認めてないわけです。
確かに、綺麗に見せるぞ!という気合だけは、並々ならず持っており、そのための執念深いまでのメイク研究を長きに渡って続けてきたわけですから、足場をすくわれるかのごとく方向を変えようとしている今は、無理ない抵抗なのだと思う。ウン・・・。
けれど。
顔立ちより、顔つき。
顔つきとは、気持ちの在りよう。メイクという、装飾という、隠れ蓑から出てくる、潔さを。
それは、無防備になることではなく、むしろその逆。意識を高めることです。
・・・そんなわけで、メイクをしないことで、精神を鍛え磨くこと、の現実化が、実感されつつあります。
オオゲサですけど、かなり、実感こもってます。
それくらい、わたしには修行度が高い。
素肌は、護るものではあるけれど、隠すこととイコールではない。
「隠そう」とする人々の心の根底は、どんな手段を取っているとしても、たいてい似通って、「自信の無さの隠蔽を」なのではないかしら?
どうか。自分なりに、魅力を持つ、怖いもののない顔に、なれますように!
photo... @Biarritz en 2005, au bord de la mer
少し前に素肌に薄いルージュだけでTVに出ていた菊川玲さんを見てとても美しいと思いました。
休日に女友達に会うというようなシチュエーションの番組で、
彼女の力みのない選択に好感を持ちました。
私はといえば最近
プロのメイクさんからお勧めのコンシーラーを
教えてもらった日に買いに行きましたもの。
かなり高度な修行です。
自然に見える下地から探したりして、かなり手探り進行状態です!(のろのろ・・)
細かく、気になるところ・泣き所をいうときりがないのですが、やっぱり、頬とか額とか、広いところの肌感の印象って、最初に目に入るなあ、なんて、女性の顔への見方も、変わってきました。
細部じゃなくて、オーラというか印象を眺める感じへ。
コンシーラー、わずかな部分使いで、最高の素肌を演出することが可能だと思います!
どうぞ、様々な素敵に包まれている、いつでも最高のfebさまを、思うままエレガントに演出して、周りの目を奪っていただきたいです!