子どもの入学式から早3ヶ月。
楽しく小学校に通っており、親はひとまず少しだけ肩の荷が下りた気分。
おかげさまとばかりに、最近のマイブームに熱中しております。
それは、きもの。
お茶のお稽古に普段から「きものが望ましい」とされるお教室に入門し、
また大寄せの茶会でお運びするとなると朝7時集合とかになるため、名古屋帯も袋帯もさらっと結ばねばならない。
「それはたいへんだ」
と青ざめ、それから必死に着付け教室へ通い、それでも足りないのでYouTubeであらゆる方法を検索し、
《平成の間に、問題なく素早い着付けをできるようになる。》
という目標をなんとか無事に達成したところ、
今度はコーディネートが面白くてたまらなくなり、
次いで、アンティークきものの意匠の意表をつくバラエティの豊富さに魅了され、
夜な夜なきものの勉強に、本や雑誌やサイトやで、余念なくなり、
……今に至る。
きものや帯自体は、母のもの、祖母のもの、伯母のものと叔母のもの、と、女系家族の有難さでふんだんにお下がりを貰えたのですが、ふだんに着始めてからいろいろ気づくのは、お茶席にふさわしいものが意外と少なかったこと。
実際、祖母はお茶がキライでした。しかしてお洒落着としてのきものをたくさん誂えた人でした。
お稽古に着ていくとなると、水屋仕事をするには綺麗すぎる、というのが悩みのタネになり、わたしはネット検索してポリエステル素材の色無地を探していくことになります。
だけど、ぱさぱさしたポリエステルばかり触っていると、正絹のしっとりした重みや手触りが恋しくなる。
その点、帯はあまり汚れませんのと、きものがポリエステル素材なら余計に格を保つためもあって、祖母の遺してくれた帯が有効に使えています。
そうこうしているうちに、夏が来ました。
6月は単衣、7、8月は絽や紗。薄いきものに衣替えです。
汗で傷めるのが怖くて、祖母のきものは余計に使う気がしなくなりました。
そこへ「基本難あり」のアンティーク着物という嬉しい出逢いがあり、最初は、きらくに使えるだろうと見込んで買った格安のきものの、大胆な柄ゆきにだんだんと魅せられて、銘仙はじめ、昭和の時代をきもので遡ることに夢中になり始めました。
時同じくして、お向かいの御宅の奥様が、断捨離と称して素晴らしい和装一式をたくさんお譲りくださいました。
さらにそれ以前に、きものを実家から大量に持ち帰ってきたあたりで、箪笥数段ぶんの洋服は処分していました。
(箪笥を桐材にしといてよかった。)
ブランドタグが付いている分は売却して、なにか…自分史の1ページをちぎり取り刷新したような気分です。
このところ胸ときめく洋服には出逢えなくなっていたので、和服へのシフトは当然のなりゆきのような気がしました。
かたちは同じであっても、色や柄は唯一無二、というきものの希少性が良く、
また身体上のいろんな気になる難をカバーしてくれ、
姿勢も良くなるし、帯結びの際の動きで肩の稼働も良くなる、といいこと尽くし。
しかし、きもの一着を持つのは子ども1人持つようなものだと思います。
着たら手入れ、季節ごとに手入れ。年数を経たら手入れ。
いただいたきものは、最低でも袖丈の直しが必要ですし、裏地の張り替えもした方がよい。
メンテ代がかかって、こりゃあ、きもの文化が廃れるはずよ!とつくづく思います。
幸い、昭和の薫りが色濃く残るわが町京都(中心部ではない住宅街です)には、『街の呉服屋さん』とでもいうべくのメンテナンスから小物販売から何でも、のお店があり、夫の同級生の御宅ということもあり、気軽に相談に行っています。色無地の紋入れから、袖の丈詰めから、半襟の付け替え(古いスタイルの長襦袢はボタンで半襟をつけてある重厚なものがあり、迂闊に素人がさわれない)から、旧いきものの染め直し、子どもの足袋の買い替えまで。
さらに、シミ抜きの店舗も市内府内あちこちあり、様々なお店にお世話になっています。
アンティーク着物の仕入れは、もっぱら、「イチロウヤ」さんです。このお店ほんとうに好きです。清潔な品々で、傷みが目立たないものばかり販売されています。
もともと英語オンリーの、外国のコレクター向けアンティーク着物ショップでした。
最近、日本語サイトもオープンしました。
先日買った貴重な帯など、3000円でしたが、「28💲」と書かれたメモも入っていました。
貴重な意匠を手に入れるべく、世界を相手にして競っている!感があり、なんとも高揚してきます。
かつてのユニクロに対して味わったような感動、
「一枚お仕立てしてかかるのと、ほぼ同じ金額でこんなにたくさんきものや帯が買える!しかも稀少なものが…」。
しかしユニクロに対して同様、これまた廃れていく感動なのだろうなと予感。絹きものの寿命はだいたい100年、大正時代のきものはそろそろ着用には耐えません。
いま生産されているきものが、現在のようにアンティーク市場に大量に出回ることもないでしょう。
大切に、今あるものを着て、手入れしていきたいなと思っています。
画像…イチロウヤさんで求めた、銘仙のひとえ。架空の花がエネルギッシュで最高。
楽しく小学校に通っており、親はひとまず少しだけ肩の荷が下りた気分。
おかげさまとばかりに、最近のマイブームに熱中しております。
それは、きもの。
お茶のお稽古に普段から「きものが望ましい」とされるお教室に入門し、
また大寄せの茶会でお運びするとなると朝7時集合とかになるため、名古屋帯も袋帯もさらっと結ばねばならない。
「それはたいへんだ」
と青ざめ、それから必死に着付け教室へ通い、それでも足りないのでYouTubeであらゆる方法を検索し、
《平成の間に、問題なく素早い着付けをできるようになる。》
という目標をなんとか無事に達成したところ、
今度はコーディネートが面白くてたまらなくなり、
次いで、アンティークきものの意匠の意表をつくバラエティの豊富さに魅了され、
夜な夜なきものの勉強に、本や雑誌やサイトやで、余念なくなり、
……今に至る。
きものや帯自体は、母のもの、祖母のもの、伯母のものと叔母のもの、と、女系家族の有難さでふんだんにお下がりを貰えたのですが、ふだんに着始めてからいろいろ気づくのは、お茶席にふさわしいものが意外と少なかったこと。
実際、祖母はお茶がキライでした。しかしてお洒落着としてのきものをたくさん誂えた人でした。
お稽古に着ていくとなると、水屋仕事をするには綺麗すぎる、というのが悩みのタネになり、わたしはネット検索してポリエステル素材の色無地を探していくことになります。
だけど、ぱさぱさしたポリエステルばかり触っていると、正絹のしっとりした重みや手触りが恋しくなる。
その点、帯はあまり汚れませんのと、きものがポリエステル素材なら余計に格を保つためもあって、祖母の遺してくれた帯が有効に使えています。
そうこうしているうちに、夏が来ました。
6月は単衣、7、8月は絽や紗。薄いきものに衣替えです。
汗で傷めるのが怖くて、祖母のきものは余計に使う気がしなくなりました。
そこへ「基本難あり」のアンティーク着物という嬉しい出逢いがあり、最初は、きらくに使えるだろうと見込んで買った格安のきものの、大胆な柄ゆきにだんだんと魅せられて、銘仙はじめ、昭和の時代をきもので遡ることに夢中になり始めました。
時同じくして、お向かいの御宅の奥様が、断捨離と称して素晴らしい和装一式をたくさんお譲りくださいました。
さらにそれ以前に、きものを実家から大量に持ち帰ってきたあたりで、箪笥数段ぶんの洋服は処分していました。
(箪笥を桐材にしといてよかった。)
ブランドタグが付いている分は売却して、なにか…自分史の1ページをちぎり取り刷新したような気分です。
このところ胸ときめく洋服には出逢えなくなっていたので、和服へのシフトは当然のなりゆきのような気がしました。
かたちは同じであっても、色や柄は唯一無二、というきものの希少性が良く、
また身体上のいろんな気になる難をカバーしてくれ、
姿勢も良くなるし、帯結びの際の動きで肩の稼働も良くなる、といいこと尽くし。
しかし、きもの一着を持つのは子ども1人持つようなものだと思います。
着たら手入れ、季節ごとに手入れ。年数を経たら手入れ。
いただいたきものは、最低でも袖丈の直しが必要ですし、裏地の張り替えもした方がよい。
メンテ代がかかって、こりゃあ、きもの文化が廃れるはずよ!とつくづく思います。
幸い、昭和の薫りが色濃く残るわが町京都(中心部ではない住宅街です)には、『街の呉服屋さん』とでもいうべくのメンテナンスから小物販売から何でも、のお店があり、夫の同級生の御宅ということもあり、気軽に相談に行っています。色無地の紋入れから、袖の丈詰めから、半襟の付け替え(古いスタイルの長襦袢はボタンで半襟をつけてある重厚なものがあり、迂闊に素人がさわれない)から、旧いきものの染め直し、子どもの足袋の買い替えまで。
さらに、シミ抜きの店舗も市内府内あちこちあり、様々なお店にお世話になっています。
アンティーク着物の仕入れは、もっぱら、「イチロウヤ」さんです。このお店ほんとうに好きです。清潔な品々で、傷みが目立たないものばかり販売されています。
もともと英語オンリーの、外国のコレクター向けアンティーク着物ショップでした。
最近、日本語サイトもオープンしました。
先日買った貴重な帯など、3000円でしたが、「28💲」と書かれたメモも入っていました。
貴重な意匠を手に入れるべく、世界を相手にして競っている!感があり、なんとも高揚してきます。
かつてのユニクロに対して味わったような感動、
「一枚お仕立てしてかかるのと、ほぼ同じ金額でこんなにたくさんきものや帯が買える!しかも稀少なものが…」。
しかしユニクロに対して同様、これまた廃れていく感動なのだろうなと予感。絹きものの寿命はだいたい100年、大正時代のきものはそろそろ着用には耐えません。
いま生産されているきものが、現在のようにアンティーク市場に大量に出回ることもないでしょう。
大切に、今あるものを着て、手入れしていきたいなと思っています。
画像…イチロウヤさんで求めた、銘仙のひとえ。架空の花がエネルギッシュで最高。