Belle Epoque

美しい空間と、美しい時間

欧米人の愛する日本

2010-03-02 | Kyoto sneakers since 2008
1月に、わがやで新年会と称して鍋会をしました。
その席で、お客さまのひとり、フランス人写真家・B氏の料理がいかに奇想天外かの話になり、その流れで、彼の奇想天外料理を体験しにいく計画ができました。

先日、2月最後の日、ランチタイム。
クレープパーティをしようと氏から提案を受け、鍋会の面々は再び集まりました。
そのときの食事の様子は、すうぷそわれブログに書いたとおりです。→コチラ
本人は至って丁寧で素直に歓迎して下さり、真面目で誠意ある歓待を受けたわたしたちですが、やっぱり料理は、奇想天外だった。ネタのつもりはないがネタになってしまう、という内容でした。
クレープの具が、佃煮とマッシュルーム、かまぼことウイスキーとかね・・・。
思わず
「ねえこれ実際に一度は作ったことが」と訊きかけても、皆まで言わせず
「だいじょうぶ、だいじょうぶ!」
と説き伏せられ、食べてみたら、
うん・・・、どれも新しい一面を感じさせてくれました。
日本食材への物珍しさ・熱意、探究心を感じる内容でありました。

が、いたって月並みな感性を持つわたしはこれらを恐る恐る食べていたのですが、一緒に行った書画家さんの感想に、感銘を受けました。
「凝り固まった味覚の常識を覆され、第6感が研ぎ澄まされたような気がし、常識を打ち砕く勇気とエネルギー、創造性を学ぶことができた」。
この料理から、そんな感想が出てくるなんて。
表現者、かくあるべきなのでしょう。常に現状に飽くことない探究心に触れられたことが、わたしの収穫でした。

クレープを食べておなかいっぱいになりかかったころ、尺八奏者が訪ねてきました。コンサートをしてくれるそう。
アメリカ人のザカリさんです。孤高の楽器、尺八を愛して17年。日本で高名な師匠に付き、常に研鑽を続けているそうです。

一緒にやってきた撮影兼録音役のアメリカ人男性も懸命に日本語を話し、
自己紹介では
「松中です」
と名乗りました。
え?
一瞬耳を疑いましたが、奥様の姓を名乗るのがうれしいようです。しぶしぶ教えてくれたファーストネームはジェフリーさんというのでした。日本好き西洋人が、これで3人、集結しました。



ザカリさんの尺八演奏タイム。
尺八の演奏を目の前で聴くのは初めてです。
月がぽつんと光る、夜の荒野を吹きぬけていく風のような音色でした。
「泣く」「泣く」と楽譜にはところどころ指示してあるそうです。泣くように吹け・・・と師匠から指導される、悲しい声の楽器なのだとザカリさんは流暢な日本語で語りました。それがきっと、彼の心の何かに触れるのでしょう。
床の間に梅が生けられた和室、庭の松が見えるリビングに、みんな思い思いに座布団を置いて座り、その音色に耳を傾ける1時間でした。



フランスから、アメリカから、日本の何かに心の琴線を爪弾かれて、はるばる移り住んできた人たち。
彼らの見る日本は、土着のわたしが感じている日本とは違います。
雪舟や夏圭のレプリカを丁寧に広げて見せてくれる様子。
フランス語で出版された源氏物語の豪華絢爛な画集。
丁寧に剪定された庭の松。
広い畳の部屋。
床の間の掛け軸は梅の絵。
大文字山を目の前に臨む家に住み、漢字の練習にいそしむ様子。



佃煮入りのクレープ(正しくはガレットですが)にしてもそうですが、われわれが見過ごしているような瑣末なドメスティックな日常・文化のかけらにこそ、彼らは大きな大切な価値を見出しているようです。
西洋と混ざる前のアジアの姿を、彼らは探しています。そしてその部分を鋭く抽出し、新しい役割を与えることに大きな意味を感じています。西洋的な視点で東洋を切り取るときに、人生の普遍の答えが何かそこに見つかるのだというように。
どれだけ彼らが日本を愛し文化知識を多分に持っていても、けっして彼ら自身は、本人がなりきっているほどには日本的ではないのですが、日本的・西洋的というのを超えたところにある、何か本質的なものに向かう意思を持っているようには、確実に見えました。
彼らの好きな「日本」を見ていると、自分もまた、まだ知らない何かに向かって歩いていく途中であるかのような、わくわくした冒険心を思い出します。
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