意図しなかったのですが、イギリスに行ったことで、いちばん私自身を精神的に救ってくれたのは、「日本語が入ってこないこと」でした。
正確に言えば、本をたくさん持っていったから、見たい日本語を選べたこと、なのかな・・・。
テレビ・電車の吊り広告・ネット、など、いつの間にか世の中の流れをコントロールし、何かを自然とワレワレの頭に刷り込んでくるものから、意見・文句・賞賛、など、他愛ない誰かのお喋りまで。
これらの影響は、知らず知らず、とても大きい。
日本で暮らすということは、選ぼうと選ぶまいと日本語にどっぷり浸かることであり、言葉とは文化というかその共同体の考え方そのもの。
こうあるべき、
これが良い、
・・・価値観が、一定の方向へ向かう流れに、いつの間にか自分ものっかっている。
言葉によって形作られるその枠組みに生きることに、ギリギリに息詰まったとき、言葉の上手く使えない国へ逃亡するのはいたって自然な欲求だったのだなあ、と、遅まきながら意識が気付く。
実は、自分を縛るいちばんの言葉は、自分自身から出たものだったりするのだけど。。
正直、出発前の自分は、いくつかの大きなことが起きたためにいっぱいいっぱいで、
やや正気を失っていたというか、ぎりぎりだったというか・・・、
いろんなことを冷静に考えることが出来なくて、絶え間ない、あらゆる情報 (目や耳から入ってくる全てのもの) を上手く頭の中で整理できていなかった。
アウトプットもめちゃくちゃ・・・。支離滅裂なこと、別の日記に書いたりしていました。
(そしてご心配とご迷惑をおかけしました。ごめんなさい)
風景のようにいつもそこにあった日本語が、日常からすうっと消えたら、日々、頭の中が次第に、洗い流されていくのを、感じました。
洗い流してくれた水は、この風景、この状況。
イギリスで接した日本語は、何冊かの、自分が選んだ本だけ。
ホテルの静かな部屋で、または、そこの暖かな色彩のサロンで。
クライスト・チャーチの庭で、にわかに射した陽光を草の上に眺めながら。
外の風が冷たくて寒さを感じたら、カフェに避難してスコーンと紅茶を目の前に置いて。
読書に時間を過ごしました。
正確に言えば、本をたくさん持っていったから、見たい日本語を選べたこと、なのかな・・・。
テレビ・電車の吊り広告・ネット、など、いつの間にか世の中の流れをコントロールし、何かを自然とワレワレの頭に刷り込んでくるものから、意見・文句・賞賛、など、他愛ない誰かのお喋りまで。
これらの影響は、知らず知らず、とても大きい。
日本で暮らすということは、選ぼうと選ぶまいと日本語にどっぷり浸かることであり、言葉とは文化というかその共同体の考え方そのもの。
こうあるべき、
これが良い、
・・・価値観が、一定の方向へ向かう流れに、いつの間にか自分ものっかっている。
言葉によって形作られるその枠組みに生きることに、ギリギリに息詰まったとき、言葉の上手く使えない国へ逃亡するのはいたって自然な欲求だったのだなあ、と、遅まきながら意識が気付く。
実は、自分を縛るいちばんの言葉は、自分自身から出たものだったりするのだけど。。
正直、出発前の自分は、いくつかの大きなことが起きたためにいっぱいいっぱいで、
やや正気を失っていたというか、ぎりぎりだったというか・・・、
いろんなことを冷静に考えることが出来なくて、絶え間ない、あらゆる情報 (目や耳から入ってくる全てのもの) を上手く頭の中で整理できていなかった。
アウトプットもめちゃくちゃ・・・。支離滅裂なこと、別の日記に書いたりしていました。
(そしてご心配とご迷惑をおかけしました。ごめんなさい)
風景のようにいつもそこにあった日本語が、日常からすうっと消えたら、日々、頭の中が次第に、洗い流されていくのを、感じました。
洗い流してくれた水は、この風景、この状況。
イギリスで接した日本語は、何冊かの、自分が選んだ本だけ。
ホテルの静かな部屋で、または、そこの暖かな色彩のサロンで。
クライスト・チャーチの庭で、にわかに射した陽光を草の上に眺めながら。
外の風が冷たくて寒さを感じたら、カフェに避難してスコーンと紅茶を目の前に置いて。
読書に時間を過ごしました。