原題は、『マリーとジュリアンの物語』です。
またまたE.ベアール作品とあっては観にいかねば!!( ̄‥ ̄)=3
と、勇んで出掛けた、シネパトス銀座。
しかし・・・。
ここは、どうもオススメできません・・・。
この映画館が、このリヴェット監督作品のような静謐な雰囲気のフィルムを上映するにも関わらず、
防音に配慮しておらず、電車のゴーッという音が効果を台無しにすること、
しかも、壁越しに、時折人の話し声が聞こえる、というWパンチ。
そして設定温度が低すぎる空調。
上着を着ましたが、凍えました。
それがなければ、優雅な気分で、透明感のあるアンニュイさを醸し出した、ベアールさんの演技を楽しめたかもしれません。。
これから観ようという方には、ビデオになってから、静かなお部屋の大画面で堪能されることをお奨めしたいです。(キッパリ。)
さて、『美しき諍い女』('91)以降のコラボレーションとなる、J.リヴェット監督とE.ベアール。
かの作品成功後も、たびたび監督が申し入れた再コラボのオファーに、「まだ早い」といい続けてきた彼女が、やっとOKを出した、という作品だそうです。
『諍い女』と比較して観ると、ベアールが本当に人間として深く成熟し、
以前の、若さが生み出す攻撃的な荒々しさからはかけ離れた、
丸みのある、しっとりした器を備えるようになったことが感じられます。
演じるのは、またまた、"ファム・ファタル"タイプの女性なのですが、最近の彼女の趣は、単なるファム・ファタルじゃない、
意外なオチが隠されていた、というものが多く、とっても人間くさい一面をアピールするのがパターン化しつつある感じ。
ちょっと哀しさを漂わせ、でもすっくと立ち上がる強さ、を、この作品でも感じさせてくれました。
ヨーロッパに行くと、たとえ1週間の旅でも、急に時間の流れがゆるやかになったような錯覚におちいることがあります。
人々はカフェで延々とおしゃべりをし、散歩する人はゆったりとしたペースを守って歩く。
公園のベンチに腰掛けた人は、何をするでもない、ただ景色を眺めて物思いに耽る。
陽はゆっくりと傾き、静かに夜が始まる。・・・
そんな優雅な空気を、この作品は思い出させてくれます。
とにかく、淡々と時間が流れるのです。
時計師ジュリアンの仕事場を支配する、振り子の音のように、いつまでも同じように。
リヴェット監督といったら、この〈一瞬=永遠〉の気長な方程式を連想してしまう私です。
『諍い女』をご覧になった方は、いくらこのタイプの映画が好きでも、多少辟易なさったのではないでしょうか。
とにかく、描写が長い。
という点で。
実は、それを思って、ちょっと覚悟を決めていたのですが、
「ううん、でも今回は画家が絵を描く話じゃない、大丈夫」
と自分に言い聞かせていました。
(※『美しき諍い女』は、同タイトルの絵が書き上がるまでの何日間が、4時間ほどかけて上映される)
・・・が、・・・やっぱり、描写シーンが多いのは、必至らしい。
ベアールの、「目的」のための行動が、延々描かれます。
その動作に、私たちは彼女の感情の揺れ動きを読み取るわけですが、(なにしろ台詞があまりないし)
多分、俳優にとっては、なまじなアクションより、こういう演技の方が、よほど集中力を要するものなのでしょうね。
そして、自分を試されている感じが多分にあるのではないでしょうか。
ほとんどノーメイクで、日常の動作の繰り返しの演技を続けたベアールは、その内面を、観客の前にあらわにしていたのかもしれません。
静かな映画ですが、感情は豊かに溢れる作品です。
願わくば、そんなに長く映るのだから、ベアールのお洋服にもっと工夫が欲しかったな・・・。
とザンネンに思いましたが・・・。
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『Mの物語』、オフィシャルページです。
( Photo by (c)Tomo.Yun http://www.yunphoto.net )
またまたE.ベアール作品とあっては観にいかねば!!( ̄‥ ̄)=3
と、勇んで出掛けた、シネパトス銀座。
しかし・・・。
ここは、どうもオススメできません・・・。
この映画館が、このリヴェット監督作品のような静謐な雰囲気のフィルムを上映するにも関わらず、
防音に配慮しておらず、電車のゴーッという音が効果を台無しにすること、
しかも、壁越しに、時折人の話し声が聞こえる、というWパンチ。
そして設定温度が低すぎる空調。
上着を着ましたが、凍えました。
それがなければ、優雅な気分で、透明感のあるアンニュイさを醸し出した、ベアールさんの演技を楽しめたかもしれません。。
これから観ようという方には、ビデオになってから、静かなお部屋の大画面で堪能されることをお奨めしたいです。(キッパリ。)
さて、『美しき諍い女』('91)以降のコラボレーションとなる、J.リヴェット監督とE.ベアール。
かの作品成功後も、たびたび監督が申し入れた再コラボのオファーに、「まだ早い」といい続けてきた彼女が、やっとOKを出した、という作品だそうです。
『諍い女』と比較して観ると、ベアールが本当に人間として深く成熟し、
以前の、若さが生み出す攻撃的な荒々しさからはかけ離れた、
丸みのある、しっとりした器を備えるようになったことが感じられます。
演じるのは、またまた、"ファム・ファタル"タイプの女性なのですが、最近の彼女の趣は、単なるファム・ファタルじゃない、
意外なオチが隠されていた、というものが多く、とっても人間くさい一面をアピールするのがパターン化しつつある感じ。
ちょっと哀しさを漂わせ、でもすっくと立ち上がる強さ、を、この作品でも感じさせてくれました。
ヨーロッパに行くと、たとえ1週間の旅でも、急に時間の流れがゆるやかになったような錯覚におちいることがあります。
人々はカフェで延々とおしゃべりをし、散歩する人はゆったりとしたペースを守って歩く。
公園のベンチに腰掛けた人は、何をするでもない、ただ景色を眺めて物思いに耽る。
陽はゆっくりと傾き、静かに夜が始まる。・・・
そんな優雅な空気を、この作品は思い出させてくれます。
とにかく、淡々と時間が流れるのです。
時計師ジュリアンの仕事場を支配する、振り子の音のように、いつまでも同じように。
リヴェット監督といったら、この〈一瞬=永遠〉の気長な方程式を連想してしまう私です。
『諍い女』をご覧になった方は、いくらこのタイプの映画が好きでも、多少辟易なさったのではないでしょうか。
とにかく、描写が長い。
という点で。
実は、それを思って、ちょっと覚悟を決めていたのですが、
「ううん、でも今回は画家が絵を描く話じゃない、大丈夫」
と自分に言い聞かせていました。
(※『美しき諍い女』は、同タイトルの絵が書き上がるまでの何日間が、4時間ほどかけて上映される)
・・・が、・・・やっぱり、描写シーンが多いのは、必至らしい。
ベアールの、「目的」のための行動が、延々描かれます。
その動作に、私たちは彼女の感情の揺れ動きを読み取るわけですが、(なにしろ台詞があまりないし)
多分、俳優にとっては、なまじなアクションより、こういう演技の方が、よほど集中力を要するものなのでしょうね。
そして、自分を試されている感じが多分にあるのではないでしょうか。
ほとんどノーメイクで、日常の動作の繰り返しの演技を続けたベアールは、その内面を、観客の前にあらわにしていたのかもしれません。
静かな映画ですが、感情は豊かに溢れる作品です。
願わくば、そんなに長く映るのだから、ベアールのお洋服にもっと工夫が欲しかったな・・・。
とザンネンに思いましたが・・・。
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『Mの物語』、オフィシャルページです。
( Photo by (c)Tomo.Yun http://www.yunphoto.net )