そろそろ会期も終わりに近づいていますね。混雑するのではないでしょうか。
国立新美術館にて開催中の『ルーシー・リー展』は、わたしが行った5月最後の金曜の夕方にも、こみ合っていました。
美しい色、繊細なかたちの器は、眺めているとイマジネーションをかきたててやみません。
多くのひとが同じ思いで、立ち去りがたくとどまっているのかも。。
たいてい、ひとが選ぶもの・作るものはその人の分身で、本人によく似ているものですが、リー女史の作品も、彼女によく似ていました。
不安定だからという理由でバーナード・リーチが最初酷評した とされる繊細な台などは、彼女の細い首、端正な肩を思わせます。
花器のすんなり流れる首も、彼女のすらりと通った鼻すじのようでした。
リーチのアドバイスをいったんは聞き入れようとしたがやはり作風は譲れなかった、というのも道理。
彼女から自然に生まれた作品は、彼女そのものなのですもの、どんなかたちでも彼女なりのバランスをとって完成していくのです。
思い通りの色を出すのに試行錯誤を繰り返した、というあの色もしかり。
さらりとした肌の陶器に、あの透明な色・・・!吸い込まれていきそうでした。
単純にピンクやブルーや白とは言いたくない、
早朝そっと咲いた桃の花の色、
アルルの夏の空の色、
生まれたての子犬の白い産毛の色、
・・・そんなふうに、美しい記憶が呼び覚まされる感覚でした。
独特のひっかいた文様の、注意深く愛情こもったラインも、好きです。
女性のつくる日用品は、奇をてらい過ぎることなく、地に足のついたものが多いと思います。
しかし暮らしをより洗練させる造形を生みだすのには、男性的な革新の心が必須。
たおやかな外見の器や美しい彩色のボタンには屈強さを感じ、発せられるエネルギーに感激しました。
『ルーシー・リー展』 ~2010年6月21日@「国立新美術館」
国立新美術館にて開催中の『ルーシー・リー展』は、わたしが行った5月最後の金曜の夕方にも、こみ合っていました。
美しい色、繊細なかたちの器は、眺めているとイマジネーションをかきたててやみません。
多くのひとが同じ思いで、立ち去りがたくとどまっているのかも。。
たいてい、ひとが選ぶもの・作るものはその人の分身で、本人によく似ているものですが、リー女史の作品も、彼女によく似ていました。
不安定だからという理由でバーナード・リーチが最初酷評した とされる繊細な台などは、彼女の細い首、端正な肩を思わせます。
花器のすんなり流れる首も、彼女のすらりと通った鼻すじのようでした。
リーチのアドバイスをいったんは聞き入れようとしたがやはり作風は譲れなかった、というのも道理。
彼女から自然に生まれた作品は、彼女そのものなのですもの、どんなかたちでも彼女なりのバランスをとって完成していくのです。
思い通りの色を出すのに試行錯誤を繰り返した、というあの色もしかり。
さらりとした肌の陶器に、あの透明な色・・・!吸い込まれていきそうでした。
単純にピンクやブルーや白とは言いたくない、
早朝そっと咲いた桃の花の色、
アルルの夏の空の色、
生まれたての子犬の白い産毛の色、
・・・そんなふうに、美しい記憶が呼び覚まされる感覚でした。
独特のひっかいた文様の、注意深く愛情こもったラインも、好きです。
女性のつくる日用品は、奇をてらい過ぎることなく、地に足のついたものが多いと思います。
しかし暮らしをより洗練させる造形を生みだすのには、男性的な革新の心が必須。
たおやかな外見の器や美しい彩色のボタンには屈強さを感じ、発せられるエネルギーに感激しました。
『ルーシー・リー展』 ~2010年6月21日@「国立新美術館」
『早朝そっと咲いた桃の花の色、
アルルの夏の空の色、
生まれたての子犬の白い産毛の色、』
なんてすてきな表現でしょう!
昨日電車で移動中に読ませていただいたのですが、ルーシーの器の色彩がありありと甦ってきて、思わず涙ぐんでしまいました。
すばらしい展覧会でした。そして、すばらしい批評文をありがとうございました。
なのに褒めてまでいただいて感激です喜
本当に、繊細な美しい造形、色でしたね。
「どんな盛り付けを…」
と言って下さったので、自分でも料理との組み合わせをあらかじめワクワクしながら想像していたのですが、
いやいや、実物見たらとんでもない、作品の色を邪魔しないような、例えば黒いオリーブの実?くらいしか、中身思いつけませんでした。
バーナード・リーチのざっくばらんなお皿になら、しいたけのオイスターソース炒めなんかをザクザク乗せられちゃうなあと思うのですが