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京都の街中、四条通りと花見小路通りの交差点近くに、『何必館』という現代美術館があります。
『魯山人展』、11月29日まで。
例のごとく駆け込みのようになってしまいましたが、先日行ってきました。
北大路魯山人、美食家にして生活のなかにあらゆる美を提唱した人物として、作品が世界的に評価されています。
晩年は、美食家なのに、大好物のタニシを食して病に倒れ死に到ったそうですが、
【参考はこちらから→①・②】
京都上賀茂の社家に生まれ育った人間として、鴨川は身近な存在で、そこに寄生するタニシは、まさにふるさとの味だったのでしょうか。
・・・なあんて皮肉なところから入ると身も蓋もないですが、
作品は、とても素晴らしかった。ことに器。
正確に言うと、作品の展示法に魅せられました。
花器に活けられた季節の花、果実、
畳に置かれた食器の配置など。
器や道具はそれ単品で主張するものであってはならず、
食品や花など、日常の品と引き立て合ってしっくりと存在を際立たせる、
という使い方に洗練が露れる。
非日常の出来事や景色に魅力を見出すのは、誰にとっても割合い簡単だけど、
日常を美しく仕上げるのは、美的感覚の発揮しどころ。
だから、魯山人の作品の中では、椿の絵柄の巨大な器などが目を引くけれど、わたしは一見慎ましい備前の手桶などが好きです。
マンリョウをそこへ枝ごとさくりと立てて、初めて、その佇まいが空間を切り取り、空気を彩る。
あるいは、板の木目を川の流れに見立てて、その上に身をうねらせた魚のかたちをした皿が置いてある様子とか。
粋人のセンスにいつも共通して学ぶのは、「何を置くか、どう飾るか」ではなく、
「どう空間を魅せるか」
というところです。
透明色に気付かせるために、すべての色はあり、
空間を美しく際立たせるために、インテリアのすべてはある。
空間をきっかけにどのように、そこにいる人の視点を遠いイメージの世界に遊ばせることができるか。
それが美を伝える時に大切なことだと思います。
空間を魅せるには、ものは最小限でなければならず、最小限に抑えるためには、厳選されたもののみに絞る選択眼が必要となる。
厳選された洗練の一例を、ここで堪能することができます。
『魯山人展』、11月29日まで。
例のごとく駆け込みのようになってしまいましたが、先日行ってきました。
北大路魯山人、美食家にして生活のなかにあらゆる美を提唱した人物として、作品が世界的に評価されています。
晩年は、美食家なのに、大好物のタニシを食して病に倒れ死に到ったそうですが、
【参考はこちらから→①・②】
京都上賀茂の社家に生まれ育った人間として、鴨川は身近な存在で、そこに寄生するタニシは、まさにふるさとの味だったのでしょうか。
・・・なあんて皮肉なところから入ると身も蓋もないですが、
作品は、とても素晴らしかった。ことに器。
正確に言うと、作品の展示法に魅せられました。
花器に活けられた季節の花、果実、
畳に置かれた食器の配置など。
器や道具はそれ単品で主張するものであってはならず、
食品や花など、日常の品と引き立て合ってしっくりと存在を際立たせる、
という使い方に洗練が露れる。
非日常の出来事や景色に魅力を見出すのは、誰にとっても割合い簡単だけど、
日常を美しく仕上げるのは、美的感覚の発揮しどころ。
だから、魯山人の作品の中では、椿の絵柄の巨大な器などが目を引くけれど、わたしは一見慎ましい備前の手桶などが好きです。
マンリョウをそこへ枝ごとさくりと立てて、初めて、その佇まいが空間を切り取り、空気を彩る。
あるいは、板の木目を川の流れに見立てて、その上に身をうねらせた魚のかたちをした皿が置いてある様子とか。
粋人のセンスにいつも共通して学ぶのは、「何を置くか、どう飾るか」ではなく、
「どう空間を魅せるか」
というところです。
透明色に気付かせるために、すべての色はあり、
空間を美しく際立たせるために、インテリアのすべてはある。
空間をきっかけにどのように、そこにいる人の視点を遠いイメージの世界に遊ばせることができるか。
それが美を伝える時に大切なことだと思います。
空間を魅せるには、ものは最小限でなければならず、最小限に抑えるためには、厳選されたもののみに絞る選択眼が必要となる。
厳選された洗練の一例を、ここで堪能することができます。