Belle Epoque

美しい空間と、美しい時間

大事なもの

2012-06-22 | vie... kurashi
大切なものは人それぞれ違って、みんな、そっとそれぞれそれを大事にして生きているんだなあ。
と、たまにあらためて思います。
そして、同じ人間の心の中でも、年月の移り変わりと共にその大事なものリストの中身も変わっていって、すべては流れ続ける、
と、昨夜降りしきる雨の音を真っ黒な窓の外に聴きながら、思いました。

自分自身でも、心の大事なものリストの中身、入れ代わる実感があります。
1年ごとのものや、3~5年ごとのもの、10年ごとのもの、とタイプも違って、イメージは法人の中長期計画表みたいだけど、実際そうして気が付いたら、その時々の組み合わせが、自分であり、自分の生活である。
そして法人と同じく、もちろん理念は変わらないままで。



大事なものにきちんと向き合う時間が持てると、どんなに多忙な人でも、体内に芯が通り、充実感を味わうことができる。
自分の大切に考えるものを、漠然とじゃなく意識的に大切にしようとする行動は、幸せそのものなんでは、と感じます。


変化は少しずつ訪れ、ある時ふいに、その形が明確になったりする。
自分自身は、以前は「刹那的なもの」の表面の華やかさに惹かれることが多かったですが、
ここ数年は、常に未来に興味がある。そして地味でも「価値を増していく」ようなものに魅力を感じるようになりました。



その変化に自分で気が付くまではすごくもやもやしていて、不安定な気持ちだったけれど、
ああ自分は変わってしまったのだ、と気が付いたことでふいに視界が明るくなり、嬉しかった。
刺激を求める、という受動形から、
地味だけどこつこつ何かをゼロから育てていく、という能動形へ。
これは、都会を外れて暮らしているから、環境に応じてやむなく変わったことなのかもしれないけど。

地味なことをこつこつ続ける、という作業は、ほんとにすごく偉大だと思います。
こつこつ積んだ、その道がいずれ他人に有益なアウトプットに繋がるのが最高だと思う。
そこには強い意志というダイアモンドの煌めきがあるから、美しいのだと思う。



たとえば恋愛などでも、
「この幸せがずっと続きますように!」
と天にうっとり祈ったところで長期的には何の効き目もなく、
ただひたすら、
「この幸せを、自分が責任持って育てるのだ」
という目的意識を抱きしめながら、『自分のしたいことより相手の望むこと』を読み取りながら行動しなければ実にならない。
生きる心にはいつも、その「意思と行動」が必要なんだと思う。




昨日は、豪雨を聴きながら、植えたての苗を想っていました。
雨水が、土に染み込み、まだ細い白い根を伝い、そこに潤いを与え、さらにぽたぽた底へ落ちていく。
まだ幼い葉は雨に洗われながら空を仰ぎ、根をぐんぐんと伸ばす、やがて来る太陽の光を待ちながら。
もともとがぼーっと不注意である自分にとって今大事なのは、こういう小さな変化を感じるようにし、育つものたちの行く末が快適であるように用意しようと行動することです。
同時に課題としたいのは、他人の「大事に思うもの」が自分とは常に違うこともわきまえて、それを受け容れるようにすること、です。



photo...宝物の、河原温『全体と部分 1964-1995』より

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