Belle Epoque

美しい空間と、美しい時間

死が内包する生 『めざめ』

2005-01-16 | cinema... eiga
闘牛場。 若きマタドール、ヴィクトールは最後の一撃を誤り、闘牛ロメロの角の餌食となって重体に。一方、ロメロは解体され、バラバラの眼球、角、骨、肉片に。やがて各部位はそれと出会った人々の運命を変えていく――。5歳までの記憶がない保母ジャンヌは、母アリスの愛情をいつも探し求めている。出産を控えるベティは、獣医の夫ジャックにある大事なことを伝えられずにいる。売れない女優カルロッタは、母親譲りのホクロが不幸の原因と思い悩んでいた。トレーラーハウスで息子と2人暮らしのロージーは、父親が不在の理由を明かせずにいた…。

あまりに強烈で、生をも包み込み、熱い血を感じさせるような、死の気配。
原題"Carnages(虐殺、殺戮。*複数形)"とある通り、闘牛の息詰まるシーンがすべての始まり。
示唆的です。
神へのいけにえ(人と神を繋ぐもの)としてのルーツをもつ闘牛で、闘牛士が重傷を負う。
病院で、臓器提供者を待ち、意識不明の状態で看護が続く。
一方、殺された牛は、解体され、研究材料や食肉など、人の生活の内部へ。

死は生へつながり、生は死に至る・・・
このサイクルが、剥き出しの迫力で描かれる、強烈な作品。
解体される内臓がかなり映像に登場して、グロテスクすぎないまでも、インパクトがありますが、
そんな肉の生々しさより、人間の精神が死に近くなるとはこういうことかもしれない、
という登場人物たちのあり様が、より衝撃的でした。
生と死の「境界線」を、精神的に・肉体的に、行ったり来たりする人々。

キアラ・マストロヤンニが見たくて借りたのだけれど、他の女性たちも、心に秘めた秘密に不安を漂わせる感じが魅力的に映る演技をしていました。
ラブシーンもヌードもほとんどないのに、なんだかエロティシズムが漂うのは、なぜでしょう。。

死は特別なことではなく、
(誰にでも訪れる出来事だから)
ただの状態の変化。
でも、終わりではなく、永遠にめぐり続け、つながり続ける営みのこと。
登場人物たちは、これを、自然なこととして、むしろパワーとして、受け入れます。
人が、動物を殺して、その肉を食べて生きることは、目を背けても、真実。
それを本当に解って、当たり前に見つめている視点です。
これが示されているから、この物語は、死を描いていても、生命の力強さを秘めているのだと思いました。
背景の選曲が、そこにぴったりでかっこいい。
フラメンコです。
想いがこもったフラメンコダンサーのサパテアド(足を踏み鳴らす)と、
情熱的にかき鳴らすフラメンコギターが、生命力に満ちた、心臓の鼓動のよう。

ところで、「5」という数字には、何か意味があるのでしょうか?歴史的に・・・
闘牛士ヴィクトルが試合の支度を始める時間、5時、
闘牛ロメロ、5歳、
牛の死のすべてを見届ける病気の少女ウィニー、5歳、
妊婦ベティの赤ちゃん、5つ子、
5歳までの記憶がないジャンヌ、・・・
登場人物たちに共通するこの数字が繰り返され、最後に、物語が終わる時刻、5時。

東洋だったら、「陰陽五行」の暗喩かしら、とも思うけど、スペイン・フランス・ベルギー合作ではね?そう考えにくい。。
どなたか、ご存知でしたら、「5」の意味について、教えてください。( ̄人 ̄)


『めざめ』リンク

情報
オフィシャル・サイト〔英〕
オフィシャル・サイト〔仏〕

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