Belle Epoque

美しい空間と、美しい時間

ありがとうって伝えること

2014-06-23 | vie... kurashi
子どもは、若い頃はそんなにほしいと思っていませんでしたが、結婚後数年の30代半ば過ぎから、意識が変わりました。
それは、実際の生活を考えたりするとタイミング的にそろそろいいかな、というような顕在意識のなせるわざではなく、ただもう、意思と関係なく湧き出る、
産まねば、
というDNAの叫びのようなもので、自分ではどうにもコントロールできるものでなく、戸惑い、「人体の内なる宇宙」を感じた体験でした。
けれども、出産するには高齢になっていましたので、当然、ほしい → ほいきた! というわけにはいきませんでした。
自分に妊娠する機能がないのではないかと思う気持ちは、子どもを望む人にとって生理的に、これまたDNAレベルでつらいものです。否定されたような絶望感を一人で引き受けるしかないのです。経験した中でトップクラスの苦しみでした。
人にその気持ちを打ち明けたことはありませんでしたので、結婚して子どもがいないと聞いただけで、頼んでもないのに「いい治療法があるから試したら」とお節介を焼かれると、相手にめらっと敵意を覚えたりしたものです。2回ほどありました。今でも、「●妊治療」という否定的な乾燥した言葉が大嫌いです。
わが家の場合、むりしてまではいらないと、夫の合意がなかったので病院での治療は未体験ですが(自分の問題がないかチェックだけは受けました)、わたしは、それ以外はありとあらゆる出来うる限りのことをしました。
主には3つ。栄養補給や運動など体を整えることと、趣味に邁進することと、神頼みでした。
栄養補給は、本屋や図書館で文献をさらいまくって(ネットは参考程度)、夫にも自分にも、(自己判断で)欠損していると思われるものを食事で投入しまくりました。たとえば、亜鉛を無理なく摂るため食卓にはアサリの白ワイン蒸しがよく登場しました。「なぜあの当時貝をあんなに食べさせられたのだろう」と不思議に思っていた、と夫が後日ふりかえったように、すべて無言のうちにひっそり、自然な様子を保って行ないました。
趣味は、自分の気持ちを外の世界に逸らすため。結果、良い友達もできて暮らしが楽しくなり、今に至ります。
神頼みは、神社にお参りしたり、瞑想、呼吸などで潜在意識に望みを刻印しました。ジョゼフ・マーフィとウォレス・ワトルズを教えてくれたのは夫で、このメソッドを知らなかったら、違う展開になっていたと思います。感謝。

そして奇跡(としかいいようのない)が起きました。医学的には奇跡であると夫も父(産婦人科医)も言いました。
無事な高齢出産が増えていても、それはやはり奇跡であることを、実際問題として忘れてはならないと思います。
また、陥りがちですが妊娠することだけに照準を合わせてしまい心のバランスを崩すことは、自分の首を絞めます。
自分を自分で楽しませることができるようにすることが何より大切で、自分や他人を否定しない。人の出産を自分のことのように喜ぶことも大事です。

が、高齢出産のいちばんの問題は、産むこと以上に、子育ての日々でありました。
体力がもたないのです。
肉体は精神を支配していますので、何度となく心が折れました。ちょっとしたトラブルに対応しきれないもどかしさに、何度も無力感を味わいながら、今も過ごしています。

しかし、そんな至らないわたしのところに生まれてくれた子どもなので、ほんとうに感謝しています。
ママのところに来てくれて、ほんとうにありがとう。生まれてくれて、どうもありがとう。いつもママを助けてくれて、どうもありがとう。
と、毎日、抱きしめながら子どもに伝えています。
愛している、いつもありがとう、と伝えることの大事さを、わたしは夫から学びました。シャイな両親と過ごしてきたわたしには、関西圏だから?というのも少しはあってか、なんでも言葉にする夫の家族の在り様が最初衝撃でした。伝えることの大事さは、ほんとに衝撃でした。
というふうにわたしには最近の習慣ですが、子どもには、生まれながらに、感謝を伝えようと思っています。

ありがとう。
という言葉は、相手の波動を上げるそうです。どこかで読みました。
波動の高い相手と過ごすのは自分のためにもなり、いいこと尽くしです。
とはいえ、小さい子どもと過ごすのは、実際、情緒に問題のない良い子であっても予想外の展開になることばかりなので、ラクというのとは大きく異なるのですが、大人同士なら、良いこと尽くしの結果を産むと思います。
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