1991年、3月。
東京のアパートで二人の方が杭打機横転事故で亡くなりました。
そのうちのひとりが佐賀出身の方だと知ったのは翌日の新聞だったと思います。
しばらくして、うちにあったある雑誌にこの事故に遭われた方についてのエッセイを見つけました。
『死んだのはひとりの芸術家でした』と、いう一文に息をのみ
読み終えて「…そうだったのか」と、絶句したのを覚えています。
その芸術家が『野村昭嘉』さんでした。
何度か佐賀でも彼の作品展が行われたようですが
今年も今日から10月20日まで佐賀県立美術館で開催されています。
そして、明日9月7日は先のエッセイを書かれた
西原理恵子さんのトークショー形式の講演会が行われます。
(聴講申込みは定員になり終了しています)
実は、あのエッセイを書かれたのが西原さんだったと今日気づいた私でした。
あのエッセイを読んでいなかったら
私は野村さんを芸術家だと知らなかったかもしれません。
明日の講演会は観に行くことが出来ませんが、
「野村さんの事を教えてくださってありがとうございます」
と、西原さんに伝えたいですね。
東京のアパートで二人の方が杭打機横転事故で亡くなりました。
そのうちのひとりが佐賀出身の方だと知ったのは翌日の新聞だったと思います。
しばらくして、うちにあったある雑誌にこの事故に遭われた方についてのエッセイを見つけました。
『死んだのはひとりの芸術家でした』と、いう一文に息をのみ
読み終えて「…そうだったのか」と、絶句したのを覚えています。
その芸術家が『野村昭嘉』さんでした。
何度か佐賀でも彼の作品展が行われたようですが
今年も今日から10月20日まで佐賀県立美術館で開催されています。
そして、明日9月7日は先のエッセイを書かれた
西原理恵子さんのトークショー形式の講演会が行われます。
(聴講申込みは定員になり終了しています)
実は、あのエッセイを書かれたのが西原さんだったと今日気づいた私でした。
あのエッセイを読んでいなかったら
私は野村さんを芸術家だと知らなかったかもしれません。
明日の講演会は観に行くことが出来ませんが、
「野村さんの事を教えてくださってありがとうございます」
と、西原さんに伝えたいですね。