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日本歴史紀行

現代語訳 徳川実紀 16 竹千代君、癇癪をおこす



増善寺 山門  今川氏親菩提寺
静岡市 葵区 慈悲尾(しいのお)

義元の父、氏親の菩提寺




天文二十年が明け、国守 義元への挨拶も済ませた竹千代君の元に、生まれ故郷 岡崎で留守を預かる奉行の鳥居忠吉の倅、彦右衛門(元忠)が新たに小姓としてお付きになった。


竹千代君は臨済寺の雪斎禅師の戒めもあって、しばらくは大人しくしていた。


鷹狩りが大好きになった竹千代君であるが、隣の庭が木々の鬱蒼とした今川家臣の孕石の庭で、鷹が木に引っ掛かって落ちてしまうことから、鷹より小さい百舌鳥を手懐けようとお考えになった。


ある日、竹千代君は 屋敷に来て間もない彦右衛門に百舌鳥を狩りの出来る様に手懐けよと、お命じになった。

ところが何日経とうが百舌鳥は彦右衛門の手で狩りを覚える様なことはなかった。

好きな狩りを何日も出来ない竹千代君は、縁側で百舌鳥を手懐けようと苦心している彦右衛門を見るなり。

~ええい!不甲斐ない奴め!~

とうとう癇癪を起こした竹千代君は、彦右衛門を縁側から蹴り落としてしまった。

~あっ!~

竹千代君付きの小姓の頭格である忠次が思わず声をあげた。

これまで竹千代君は小姓が不始末をしても手を挙げる様なことはなかった。

忠次から彦右衛門への折檻を聞いた竹千代君付き家臣筆頭の正親は。

~鷹狩りも出来ず、竹千代君も最近 苛立ちがあると見える。
今川様への御挨拶も終えたことだし、今川家臣の目を気にせずに遊んでいただける様な場所へ行っても良いのではないか。~

正親の言葉を受け、翌日 忠次らは竹千代を城下から少し離れた安倍川の対岸へ伴った。


~竹千代様、ここまで来れば鷹狩りも思いのままでございましょう。~

竹千代君は夢中で鷹を放ち始めたが、河川敷では獲物も乏しく、次第に西の山裾へ進路を向けた。

そこは慈悲尾(しいのお)の森と呼ばれる処で、今川義元の父、氏親の菩提寺がある増善寺があった。


鳥居彦右衛門(元忠)
家康と兄弟の様に苦楽を共にする股肱の家臣。
関ヶ原の戦いの発端となる上杉征伐を名目に江戸に下向する家康から石田三成の挙兵を誘う伏見城を預かり、西軍の大軍4万を1800の手勢で10日あまり釘付け、壮絶な最期を遂げる。



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