岩村通俊 像
北海道札幌市中央区宮ヶ丘、円山公園
予算を使いきって初代 開拓判官の職を解任され、北海道を去った島 義勇の後を継いだのが旧土佐藩士 岩村通俊です。
岩村は、島が計画を立てた大通公園を境に北を官庁街、南を住宅、商店街の都市計画を実現化させるべく行動しました。
北海道庁庁舎の建設、上川離宮の建設計画、さらに火事の予防のための御用火事と称して木材住宅の家々を放火して回るなど、強引ともいえる手法で次々と計画を推しすすめますが、民意を得ない開拓経営だと開拓長官となった黒田清隆と衝突して解任されました。
ただ、
岩村最大の功績といえるのが、薄野(すすきの)遊郭の建設でしょう。
これは、部下の薄井龍之に命じて作らせた遊郭で、開拓に汗を流す作業員や、はるばるやって来た商人達の癒しの場として作った遊郭は、その後も賑わいをみせ、いまや東京以北、最大の歓楽街となりました。
余談ですが、岩村の実弟は岩村高俊で、東北諸藩が反新政府へと頑な姿勢を崩さぬ中で、中立の立場を貫く意思をみせ、自ら会津藩への調停を願い出た越後 長岡藩家老 河合継之介と会談するも、破談に追い込み長岡藩を北越戦争へと引き込んだ人物です。