樺太犬タロ、ジロ像
愛知県名古屋市港区ガーデン埠頭
1958年4月。
南極から帰還した第1次南極観測隊を待ち受けていたのは、樺太犬を置き去りしてきたことに対する激しい批判の声でした。
批判の声が上がる中において、帰還した隊員たちは膨大な残務処理に追われました。
その中で、
観測隊が主に北海道から集めた樺太犬たちは、金銭で飼い主から買い取りしたもので、映画〜南極物語で犬係を演じた高倉 健さんが元の飼い主に謝罪に行くという事実はありませんでした。
それでも、手塩にかけて一人前に成長させた犬係をはじめ、胸の張り裂けそうな思いをして帰国した隊員たちの心境は想像を絶するものがあったと思われます。
その思いを感じさせるエピソードがあります。
最年少の隊員で、犬係を務めた北村泰一隊員は、日本中からの大バッシングの中で、肉体的、精神的にも辛い日々を送るある日、南極で元気に走る2頭の犬の夢を見て目を覚まします。
7月6日、大阪府堺市在住の獣医で、彫刻家でもある岩田千虎(かずとら)氏が樺太犬慰霊の像を製作し、その除幕式に観測隊として南極に越冬した副隊長の西堀栄三郎氏、越冬隊員として参加した朝日新聞社の藤井恒男氏、それに犬係の菊池徹隊員が参加することになります。
一般に除幕式といえば、映えある希望に満ちた祝辞を述べるのが定説でも、樺太犬がより添って遠吠えするイメージで製作された像は参列した人々の悲しみを一層誘いました。
後の歴史で、私達はタロとジロが生存していたことを知るも…
樺太犬達を南極に置き去りにして既に4ヶ月余りが過ぎ、当時の関係者達は犬達の生存は絶望視していたことでしょう。
それを物語る様に、除幕式では、犬達への弔辞として菊池隊員が樺太犬達の名前を一頭ずつ読み上げましたが、13頭の名前まで述べたものの、あとの2頭の名前が浮かばなくなり、どうしても思い出せず、仕方なく、菊池隊員は〜やすらかに眠れ〜と弔辞を締めくくりました。
この菊池隊員の弔辞に関するエピソードは、後に心理学の教材にも取り上げられ、また、北村隊員の見た夢は、南極でのタロとジロは、首輪抜けが上手かったことを目撃していたことが記憶にあり、潜在意識の中にあったかも知れませんが、後になり、まさか正夢になろうとは知らずに北村隊員は第三次南極観測隊の募集が始まると直ぐ様 応募します。
12に続きます。