戦艦陸奥 主砲
神奈川県横須賀市ヴェルニー公園
JR横須賀駅
ヴェルニー公園
今から80年の前の1943年6月8日。
日本が太平洋戦争の真っ只中にあった昭和18年6月8日と書いた方がより伝わるかも知れません。
その昭和18年6月8日、
太平洋戦争の流れを決定的に変えたミッドウェー海戦(1942年 昭和17年6月5日〜6月7日)の敗北から一年が経過した昭和18年6月8日、類を見ない40センチ主砲を搭載した世界最強の称号を与えられる世界7戦艦の一つとして認知され、長門と共に日本が誇る
【戦艦 陸奥】が山口県岩国市の瀬戸内海 柱島沖で爆発を起こして爆沈しました。
火薬庫からの火災が原因とも言われています。
海軍の軍艦は日露戦争以来
日本海軍の勝利のシンボルとして永らく親しまれ、陸奥の爆沈は国民を意気消沈させるとして事実は徹底的に伏せられ、国民がこの事実を知らされたのは終戦後のことでした。
この陸奥が建造されたのは横須賀の海軍工廠でした。
横須賀は陸奥の生まれ故郷といえるでしょう。
戦艦陸奥主砲
戦艦陸奥 40cm主砲砲弾
爆沈した陸奥の船体の一部は1970年昭和45年になって引き揚げられ、陸奥の現役当時、最強の軍艦としてのシンボルだった40センチ主砲の砲門と砲弾が横須賀市のヴェルニー公園に設置されました。
横須賀市
神奈川県横須賀市は近代日本の軍港として発展してきました。
江戸幕府の開府以来、横須賀市のある三浦半島は、幕府天領として支配され、もっとも衝撃的な出来事でもある黒船来航の舞台です。
黒船が姿を現した浦賀。ペリー上陸の地〜久里浜は現在の横須賀市の海岸線に属し、鎌倉幕府滅亡以来、賑わいから見放され寒村に過ぎなかったこの地が、国防として考えた場合、如何に
重要な地域であったかを幕府は強く認識させられました。
重要な地域であったかを幕府は強く認識させられました。
幕府はこの地を江戸防衛の拠点とすべく、優秀なフランス人造船技師を招きました。
それがフランソワ、レオンス・ヴェルニーです。
61に続きます。