鳴海絞発祥地碑
名古屋市緑区鳴海町向田
名古屋市の伝統工芸である有松絞りは江戸時代に伝わったことは、地域版58 有松絞開祖の記事で触れました。
ここで伝わる鳴海絞は、諸説ありますが、豊後国(現在の大分県)の侍医、三浦玄忠の妻と言われています。
豊後府内藩主、竹中備後守が名古屋城築城のために尾張を訪れ、三浦玄忠も藩主付きとして夫妻で、鳴海宿のこの地に滞在します。
この時期の滞在時、玄忠の妻が病にかかり寝込みがちとなると、玄忠と診察に加え、宿場町の住民たちが何かと世話をし、やがて快方へと向いました。
玄忠は後に年老いて隠居すると豊後国を離れ、尾張国鳴海に移り余生を過ごします。
玄忠は町医者として、豊後絞りの絞括の経験者でもあった妻は、かつて豊後国の人夫達が名古屋城築城の夫役に駆り出された際に、住民たちに伝授された絞りを、その後も熱心に研究に取り組む姿を見て感銘をうけ、指導する様になりました。
鳴海絞開祖の碑
ここで伝授された絞りは三浦絞りといわれる様になります。
有松絞り、鳴海絞り、その発祥は微妙に異なる伝わり方をしていますが、江戸時代初期に豊後国から伝わり、発展したことは間違いないでしょう。