法隆寺 東院伽藍 夢殿
奈良県 生駒郡 斑鳩町 法隆寺山内
601年、推古天皇9年、 聖徳太子は推古朝の皇居のある飛鳥から、推し奨めようとしていた仏教による新しい国造りのための場所を探しました。
そして飛鳥の村から北西にある斑鳩の里に約束の地を見つけました。
斑鳩の里で下馬した太子は、自らの理想を体現する宮殿造りをはじめ、完成までの間、飛鳥宮と斑鳩宮の間を往復する日々を費やし、その間に身分を問わず優れた人を召し抱える冠位十二階。日本史上初の憲法、〜和をもって貴しとなす〜の序文から始まる十七条憲法を制定と、太子の偉業は、この地で行われました。
622年 2月22日、太子が流行り病で亡くなると、斑鳩宮には太子の嫡子である山背大兄王が一族と共に暮らしました。
643年皇極天皇2年、政敵である蘇我入鹿が斑鳩宮を襲撃し、山背大兄王は一族と共に滅亡します。
太子の系譜が滅亡した後、中大兄皇子と中臣鎌足がクーデターを起こして蘇我一族を滅亡させ、新たな時代の到来となります。
東院伽藍は、太子の系譜が絶えた後、荒れ果てた地となっていたことに心を痛めた僧、行信が中心となって739年天平11年に建立、太子の等身と同じ秘仏、救世観音像を安置する上宮王院を創建します。これが東院の始まりです。
東院の中心に建つ夢殿は、屋根の上に金と銅の宝珠露盤を頂く八角円堂で、太子の殿堂として威厳に満ちた姿を現代に残してます。