用明天皇 御陵大阪府南河内郡太子町飛鳥時代前期の第31代の天皇となる用明天皇は、仏教に否定的だった先代の敏達(びだつ)天皇とは違って、積極的に取り入れる天皇でした。御即位は西暦585年で、 異母兄の敏達天皇の崩御により皇位につきましたが、即位早々に疱瘡(天然痘)に冒され、 翌々年に崩御しました。用明天皇の第二皇子だった聖徳太子(厩戸皇子)は、父、用明天皇の御発願だった仏閣の建立を進め、法隆寺の創建へと繋がります。