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日本歴史紀行

北海道地名由来史リバイバル 10 斜里町 羅臼町


知床半島地図




斜里町カントリーサイン

知床 斜里町


日本最後の秘境とも言われる知床は、北海道東北部の半島を指します。


知床は、半島の知床岬から中央部が北から南にかけて知床岳や羅臼岳などのいわゆる知床連山の山々が連なり、山々からオホーツク海側が網走(あばしり)支庁の斜里町、山々から根室海峡側が根室支庁の羅臼町と、二つの町に別れます。




斜里町
斜里町の語源はアイヌ語で【 サル~葦の生えているところ】と言われ、サルを漢字にあてました。

最後の秘境とも言われる知床ですが、人が入った歴史は以外に古く、江戸時代初期には、入った記録があり、江戸時代も後期に差し掛かる1807年 文化4年には、北海道 (当時は蝦夷島)最北の宗谷に赴任していた津軽藩士が幕命で知床に転進し、越冬することになりました。

ただ、知床の冬は想像を絶する厳しい寒さで、死者が相次ぎ、翌年の交替船が到着するまでに72名が犠牲になりました。

次いで知床の奥に足を踏み入れたのは、北海道命名の父、松浦武四郎でした。

1845年 弘化2年、未開同然の原野 知床の目前にたどり着いた武四郎でしたが、警戒する松前藩に行く手を阻まれます。

武四郎はやむなく半島を迂回して根室海峡から海路で知床岬に上陸し、木杭に自らの名前を記して立てました。

翌年、武四郎は日本海を北上して樺太(サハリン)へ渡り、その後 2度目の知床を目指します。

そして知床岬に再度 上陸し、前年に立てた木杭を見つけて感激し、【西部よりまたここに至る】と新たに木杭を立てました。

斜里町は、町内のウトロ地区が知床を代表する観光拠点となり、知床五湖や温泉の湯が流れるカムイワッカ湯の滝など、観光と自然が融合した景勝地となっています。


羅臼町カントリーサイン





羅臼町

根室海峡側の羅臼町は、住民の半数以上が従事する漁業の町で、サケ、マス、スケソウ(たら)、など、豊富な海産物資源て賑わいます。


最果ての町の印象が濃く、知床を舞台にした映画~地の果てに生きるもの~に出演した森繁久彌は、撮影最終日に羅臼町民の前で披露した【さらば羅臼よ】は後に【知床旅情】のタイトルで発売され、いまだに人々の記憶に残る名曲です。


また、北海道の大自然と人間模様を濃密に描いた大人気ドラマ~北の国から~完結編 北の国から2002 遺言~のほぼ全編の舞台となりました。

羅臼の語源はアイヌ語のラウシ~獣の骨のあるところ~とされています。


羅臼は、和人の入植前からアイヌが古くから定住し、狩猟して生計を立ててました。


2005年 平成17年、ユネスコの世界自然遺産に満場一致て承認されました。




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