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日本歴史紀行

歴史紀行 特別編 36 関東大震災慰霊碑 


関東大震災慰霊碑
東京都港区台場1丁目


本日は2023年9月1日です。
今から100年前の1923年、大正12年9月1日、午前11時58分に相模湾を震源とするマグニチュード7.9の巨大な地震が発生しました。


関東大震災です。

震源域の神奈川県はもちろん、首都 東京から関東全域、甲信地方の山梨県に至るまで震度6。この地震の揺れを示す震度は、北海道道南地方から中国、四国地方にまで観測し、規模の大きさを知らしめる結果となりました。


また、発生が昼食の時間と重なったことが災いし、地震直後から多くの家屋から火災が起こり、大規模な延焼火災に拡大しました。

強風の影響から火災旋風が発生、推定の死者、行方不明者は、10万5千人にも及び、特に焼死者を多く出した災害となりました。












東京、台場にある慰霊碑は、関東大震災と東京大空襲の当時の惨状を今に伝えます。


慰霊碑に記された碑文です。

東京は、関東大震災及び、第二次世界大戦末期の空襲により、甚大な犠牲を被った。
二度の被災により、隅田川河口近くに位置した
ここ、旧防波堤にも、漂着した犠牲者が数多くみられたという。

彼ら諸霊に対し、故 富川栄氏の呼びかけに共鳴した地元の心ある人々により、長い歳月に亘り弛みなき供養が続けられてきた。

いま、当地周辺は未来都市に発展すべく
まちづくりが進められている。
そして ここ、お台場海浜公園として再整備することになった。
これを受け、平成五年九月ニ七日
当地での最後の慰霊祭が行なわれ、その後は都の敷設にて慰霊が続けられることになった。
この事実を後世に伝えるべく
ここに記録する

平成六年三月吉日
東京都港湾局




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コメント一覧

aoikitakaze4390031
@kikokikonoriko19888888 こんばんは。
貴重な体験のコメントをありがとうございます。
お父様も噛み付かれたのも わかっていたのでしょうか、逃げること、生きることに必死だったのでしょうね。
kikokikonoriko19888888
東京市谷に住んでいた父は10歳年下の末の弟を負ぶって
震災の中を逃げたそうです。弟は怖かったのか兄の肩におぶさったまま肩にかみついたまま、避難したそうでス、父の肩には弟である叔父さんが噛みついたという「歯型の跡が傷になって付いていました、50歳を過ぎても、父の肩には、関東大震災の時の弟の歯形が残っていました。現実が見えるようでした。
明治42年生まれの父でした。
kikokikonoriko19888888
東京市谷に住んでいた父は10歳年下の末の弟を負ぶって
震災の中を逃げたそうです。弟は怖かったのか兄の肩におぶさったまま肩にかみついたまま、避難したそうでス、父の肩には弟である叔父さんが噛みついたという「歯型の跡が傷になって付いていました、50歳を過ぎても、父の肩には、関東大震災の時の弟の歯形が残っていました。現実が見えるようでした。
明治42年生まれの父でした。
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