札幌 時計台
札幌市中央区北1条西2丁目
札幌市で育ったぼくが小学生の頃に習った 札幌市民憲章の一文にこうあります。
【私たちは時計台の鐘の鳴る札幌の市民です…以下の条文は覚えてませんが…】
市民憲章に記され、観光で来道された方も、札幌市に来られる方も一度は目にされるであろうシンボルが札幌時計台です。
元々は、札幌農学校【現在の北海道大学】の演武場(学生への体育、兵学の指導、訓練)の場として建設されたものです。
人口190万都市の道都 札幌市のシンボルとして知られる札幌時計台は、1878年 明治11年に札幌農学校(現 北海道大学)の演武場として建設されました。
これは、兵学科を新設した農学校で兵式訓練や体育の授業を行うための施設で、2代教頭のウィリアム、ホイラーの構想に基づくものでした。
建物内部は、室内空間を広く取り入れたアメリカで当時流行したバルーンフレームと呼ばれる木造建築様式で、北海道開拓使時代の貴重な建築物として現在に伝わります。
時計台と呼ばれる様になった由来は、農学校演武場完成から10年後に時計塔が設置され、現在まで時を刻んでいます。
演武場の木額は、明治維新の元勲 岩倉具視の筆入れによるものです。