![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/7e/4765ee2228e2731843d383bcc925312a.jpg?1651713318)
信長公記は、
織田信長に仕えた太田牛一が記した一代伝記で、城中はもちろん、戦場においても信長の近習として見てきた 有りのままを記した信頼性の高い歴史書と評価されていて、現代文に訳された書籍も複数が出版されています。
まだまだ書き足りないため、連続投稿は見合わせてますが、こどもの日〜ということで、信長〜少年の頃の逸話を掲載します。
1 吉法師 誕生
尾張の国は、八郡から成る国である。
上の郡が四郡と、下の郡の四郡から成り、上の郡を岩倉城の守護代 織田信安が支配し、下の郡を清洲城の守護代 織田達勝が支配し、尾張守護の斯波義統を住まわせていた。
下の郡を支配する織田達勝には、三人の奉行がいた。
織田因幡守、織田藤左衛門、そして織田信秀の三人だった。
織田信秀は伊勢と国境に近い勝幡(しょばた)に城を構えていた。
信秀は優れた武人だが、とりわけ家中の人と親類の様に接することから有能な人も信秀の味方となった。
1534年 天文3年 5月12日、正妻との間に待望の男児が誕生した。
信秀は、男児を吉法師と名付け、 郡の中央の那古野に堅固な城を建て、林 秀貞、平手政秀、青山与三右衛門、内藤勝介らを長老に、経理は平手政秀に任せ、吉法師を住まわせた。
吉法師は何かと不自由があったが、天主坊に学門に通うようになり、信秀はそれを見届け、熱田に近い古渡に城を建てて移り住んだ。
岩倉 現在の愛知県岩倉市
清洲 現在の愛知県清須市
勝幡 現在の愛知県愛西市勝幡町
那古野(なごや) 現在の愛知県名古屋市中区 名古屋城二の丸
古渡 現在の愛知県名古屋市中区橘2 東本願寺