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玄奘三蔵法師像
奈良県奈良市西ノ京町薬師寺玄奘三蔵院
青年僧侶に成長した玄奘三蔵は、次第に修行を重ねるにつれて高僧による経典の教えに疑問を抱きはじめ、やがて釈迦の生誕地である天竺(インド)へ赴くことを決心しますが、国は隋国が滅び、唐国へと王朝が変わった時期で、鎖国政策により出入りは厳しく制限されました。
出国への嘆願も効果はなく、時は過ぎて行き、
西暦629年、玄奘三蔵が27歳になった年に意を決して秘かに出国します。
今も伝わるシルクロードの一部である河西回廊を経て唐国から隣国、高昌国(モンゴル南部との国境沿い〜現在のトルファン)に入ります。高昌国では敬虔な仏教徒である国王に気に入られ、20年分の金銭と4人の従者を与えられ、その後の旅は砂漠での暑さ、寒さに飢えと渇きで過酷を極め、盗賊にも度々襲われ、タクラマカン砂漠(現在の中国、新疆ウイグル自治区)、タシュケント(現在のウズベキスタン首都)、サマルカンド(現在のウズベキスタンの古都)、バーミヤーン(現在のアフガニスタン中央)からヒンドゥークシュ山脈を越え、ヒマラヤ山脈を沿って旅を続け、ついに天竺(インド)にたどり着きました。
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逆つ の字状で、中央アジアを大きく迂回していた玄奘三蔵の旅路
天竺に入った玄奘三蔵は、ガンダーラ、カシミールを経由して釈迦ゆかりの地をめぐり、仏教最高の学問所であるナーランダ僧院へ赴きます。
天竺に入った玄奘三蔵は、ガンダーラ、カシミールを経由して釈迦ゆかりの地をめぐり、仏教最高の学問所であるナーランダ僧院へ赴きます。
多くの学僧と凌ぎを削る中、学識の深さで最高の学僧といわれた戒賢(シーラバドラ)の下で学び、やかて学識を認められた玄奘三蔵は雑役を免れ、5年間この僧院で学んだ後、約3年をかけてインド半島を周遊して再び僧院に戻って学び、帰国を決意します。
3に続きます。