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日本歴史紀行

歴史紀行 42 - 3 平 清盛公 像 3



平 清盛 公像

京都市下京区七条御所ノ内本町 若一神社




清盛の出世

保元の乱に勝利した後白河天皇は、二条天皇に譲位して上皇となり院政を開始し、腹心である信西が政権を担います。

保元の乱の論功行賞で平 清盛は播磨守を賜り、一国の国主の地位を得て、さらに平家一門にも手厚い処遇を与えられました。

平家の隆盛に比べ、源氏の棟梁となった源 義朝は、清盛より遥かに低い左馬頭の地位にとどまり、信西の行う処遇に恨みを抱きました。


義朝は、武蔵国の知行領主でもあり、信西の政敵である藤原信頼と手を結び、平治元年12月4日、清盛が一門で熊野詣に出た隙を突き、12月9日、後白河上皇と二条天皇を幽閉し、逃亡した信西を捕らえて斬首します。


義朝と信頼のクーデターは成功したかに思われたものの、帰洛した清盛は、信頼に忠誠を誓う素振りを見せて油断させ、二条天皇と後白河上皇を内裏から救出すると形勢は一気に逆転します。


これで清盛は官軍となり、義朝と信頼は天皇に刃を向けた賊軍として扱われることになり、内裏に立て籠ります。

ここでも清盛は策を講じ、軍勢を退却してみせて内裏に立て籠もる義朝の軍勢を六条河原へ誘い出し、源氏軍の数倍にも勝る兵力で追い詰め、日和見していた一族の源 頼政の寝返りもあり、義朝は長男の義平、次男の朝長、三男の頼朝を連れて敗走しました。

平治の乱に勝利した清盛は、翌年 武家として初の公卿に昇進し、国政に参加する資格を得ました。

清盛、43歳の時で、上流貴族の仲間入りでした。





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