高野山 壇上伽藍 六角経蔵
和歌山県伊都郡高野町 高野山
高野山 壇上伽藍の六角経蔵は写経を収める蔵のことをさし、その形が六角錐であることから【六角経蔵】と呼ばれています。
鳥羽天皇の皇后であった美福門院が天皇の菩提を祈るために、浄写された一切経 千巻を納めるために建てられたのが六角経蔵の始まりであり、平安時代後期の1159年 保元4年に建てられました。
紺紙金泥一切経は、美福門院がその維持費として紀州荒川(現在の紀の川市桃山町付近)の庄を寄進された事に由来して、金泥一切経を(荒川経)、また経蔵を【荒川経蔵 】などとも呼ぶようになりました。
したがって、この六角経蔵は、別名 【荒川経蔵】ともよばれています。
1591年 天正19年には建て替えが行われ、1809年 文化6年、1843年 天保14年には六角経蔵も火災にあってしまった悲劇が残されています。
その後明治時代にはいって1884年 明治17年に六角経蔵は再建をされますが、1926年 昭和元年に金堂が火災焼失の際に六角経蔵も延焼し、大きな被害となりました。
その際、六角経蔵に納められていた鉄眼版大蔵経は数本を残して焼失したと記録されています。
美福門院御寄進の紺紙金字一切経は難を逃れ、現在では重要文化財に指定をされ、高野山霊宝館大宝蔵に大切に保存されています。
六角経蔵は1934年に再建をされ、現在のような姿になっています。
度々 火災に見舞われた六角経蔵ですが、実は経蔵の基壇の人の腰の高さの把手がついていて、回すことができるようになっています。
この部分は回転するようにできており、一周すれば一切経を一通り読んだときと同じ徳をえることができるといわれています。