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日本歴史紀行

歴史紀行 地域版 73 - 2 伊成神社 〜静岡県菊川市



伊成神社
静岡県菊川市加茂




菊川、西方川、牛渕川と、河川に恵まれながら痩せた土地の加茂村、その理由は、流れてる川床が低いため、田畑に充分な水を引けないことでした。


そこで三浦刑部は、菊川の上流にあたる潮海寺村(現在の菊川市潮海寺)から水を引けないかと思いつきます。

菊川から堰を設置して水路を掘り、加茂村まで
水を引くには、途中の本所村、半済村を通る必要がありました。

当時の水利権は現代よりも重要視され、戦の原因ともなることがあり、土地によっては領主などは作物に欠かせない水の確保には、見張りを置くなどました。

これらの村々は村ごとに領主が違うため、三浦刑部は狂人を装うなどして村々をふらふら歩き回ったり、凧を揚げて糸を切って追いかけたりして測量を重ねました。





時代は天正時代となり、この地を巡る戦いは熾烈を極め、今川、武田、徳川と東遠州を支配する大名が変わる中、ようやく徳川家が遠州最大の要害、高天神城の武田家を追い詰め、武田家を遠州から駆逐する流れになった天正9年(1581年)、領主から水路を掘る願いが許可されました。


3に続きます。


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コメント一覧

aoikitakaze4390031
@kikokikonoriko19888888 こんにちは。
昔は開墾も、水利も縄張りを避けて行わないと、
争いの火種になりかねないので、三浦刑部は狂人を装うなどして進めたそうです。
この地域の開墾は、彼ら父子の人生を賭けたものとなりました。
kikokikonoriko19888888
静岡県は 半端な歴史ツウは、、、通用しませんね、、、
測量のやり方まで、資料が残っている、、。
凧揚げの測量とは、、
サインコサインン、、タンジェントの
似たような数学が在ったという事ですね、、、、。
勉強になりました。
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