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タロット占い師アポロの goo ブログ。

ラップ音

2007-02-09 21:08:12 | 漫録

分杭峠から帰ってきた夜に聞いたラップ音は今でも時々聞こえます。ちょうど、アダムス・ファミリーに出てきた手のお化けが指を動かしてカタカタと床を這いまわるような音です。

あの日は心身ともに疲れきっていたので、そういうときによく体験する心霊現象みたいなものなのかなと思っていたのですが、それ以後は、精神状態や体調に関係なく、しかも、昼夜を問わず不定期に聞こえてきます。こういう現象に関して何も知識や経験がなければ、「正体不明のもの」に対する不安や恐怖心から、「幽霊」だとか「妖怪」みたいなものを勝手に想像してしまうのが人の性(さが)というものですね。

しかし、よくよく考えてみれば、天井でカタカタと音を立てているのはネズミか何かが走り回ったり、柱や壁をかじったり引っかいたりしているだけではないかというような気がしてきました。このあたりにはイタチだとかハクビシンだとかいうような動物も多いようなので、そういった類のものが天井をねぐらとしているのかもしれません。夜中に音が聞こえることが多いのは、彼らが夜行性だからと考えればつじつまも合うでしょう。

幽霊だと思うと怖かったものが、ネズミだと思うと鬱陶しいだけの騒音になってしまいます。

ところが、私はそのネズミの姿を見たわけではなく、「音が聞こえる」という現象そのものは、初めて聞いたときも今もまったく変わっていないのです。「ネズミだろう」というのも、しょせんは「幽霊かも」と思うのと同じような想像に過ぎないのです。

「ネズミだろう」は現実主義的な考え方。

「幽霊かも」は神秘主義的な考え方。

受け止め方はまったく異なるものの、そこにある現象(真実)はひとつしかありません。その正体は、実際に音がしているときに天井に上がって自分の目で確かめるまでは、「わからない」が正解です。

昔から気になっていたことではあるのですが、特に最近はインターネットの普及で様々な情報が簡単に手に入る時代となりました。人々は実際に学んだり経験したりしたことがないことでも、何でも「知っている」ような気がしています。情報を検索すればすぐに答えは見つかるので、「わからない」ことなどないと思い込みがちなのが今の時代。

ほとんどの人は実際に正体を見ていなくても、「ネズミだ」とか「幽霊だ」と決め付けることに何の疑問も持たないでしょう。「わからない」という感覚に慣れていないからです。

最近のスピリチュアルブームも、本当はなんだか「わからない」物に、霊だとかオーラだとかいうような「何か」を当てはめることで、意味のある「情報」として受け止めたいという人々の欲求の現れではないでしょうか。実際にはその正体を見ていないのに、「これは霊です」という情報を与えられれば、なんだかわかったような気がして安心してしまいます。「わからない」ことは不安でしょうがないのです。

そういった人の弱みに付け込んだのが霊感商法であり、うまく利用したのがスピリチュアル・カウンセリングです。スピリチュアル・カウンセリングというものは、前世などのよく「わからない」ものを、「ネズミだ」と言わずに「幽霊だ」と決め付けて安心させている(夢を見させている)だけなんですよね。まあ、ネズミでも宇宙人でも何でもいいんですけど。

ちなみに私は干支でいうとネズミ年生まれです。前世がネズミと言われたわけではありませんが、そういうイメージを与えることで一種のカウンセリングを行うのが干支占いです。亥年生まれは猪突猛進だとか言いますよね。実際には、この年に生まれた人がみんなそういう性格をしているわけではないんですが、反省材料としては意味があったりします。12 星座占いなんてのも同じ。女の子なら乙女座にあこがれたりするでしょう。サソリ座とかだといじめられたりしてね。干支や星座は生まれつき「決まって」いますが、前世なら普通はなんだか「わからない」ので、霊能者にとっては都合のいい情報源になるんですよね。

しかし、今の人はなかなか気づこうとはしません。「ネズミだ」「幽霊だ」と決め付けて安心しているだけで、その正体を実際に見て確かめたわけではないということを忘れがちだと思います。

物事を現実主義的に受け止めるもよし。神秘主義的に受け止めるもよし。どちらが正しいとか間違っているとかで争うのは無意味です。どちらも本当のことは何も「わかっていない」ということを認め、その上で、それぞれのアプローチの仕方で真実に近づく努力をしてゆけばいいのでしょう。

わかっていないのにわかったふりをして人々を導こう(惑わそう)としている霊能者の真似だけはして欲しくないですね。