Apu の All That I Am

公開備忘録のような投稿です。もしご興味をお持ち頂けましたら、PC版でご覧下さいますと嬉しいです!

乗鞍・大黒岳からの眺望 ~ お気に入りの一枚 ~



   

 以前に家族で乗鞍に出かけたときに撮った写真です。太平洋沿いに台風が通過していった翌朝に登りました。大変素晴らしい雲海も見ることが出来て家族で感動しました。マイカー規制があって、鈴蘭でバス待ちをしていた時に娘とUFO?を見たのも良い思い出です。その後、野生の熊が観光客を襲ったことがあり、うちの家族はもう行きたくないと言っています(涙)まぁ、そう言いつつもまた連れて行くつもりですが!この時の写真をスライドショーにしました。やっぱり雲海が素晴らしかったです。是非 「 乗鞍と大黒岳からの眺望 」 のリンクから見て行ってください。

もし記事にご興味がございましたら、カテゴリー毎にご覧くださると読み易いかと思います。
ページ最下部は「あぷ日記 Photo アルバム」です。過去投稿した写真のスライドショーです。
ちなみにニックネームの「あぷ」ですが、かれこれ十数年前のこと、言葉を覚えたての下の娘が「パパちゃん」と言えずに「あぷちゃん」と喋っていたのが由来です。しかし、こんな腰砕けなニックネームいつまで使うのだろうかと、そろそろ疑問と限界を感じております…(^^;)

武士道の淵源(仏教について)

2016年06月04日 | お気に入りの文章、お話
 まず仏教から始めよう。

 運命に任すという平静なる態度、不可避に対する静かなる服従、危険災禍に直面してのストイック的なる沈着、生を賤(いや)しみ死を親しむ心、仏教は武士道に対してこれらを寄与した。ある剣道の達人〔柳生但馬守〕がその門弟に業(わざ)の極意を教え終わった時、これに告げて言った、「これ以上の事は余の指南の及ぶところではなく、禅の教えに譲らねばならない」と。

 「禅」とはディヤーナの日本語訳であって、それは「言語に表現の範囲を超えたる思想の領域に、瞑想をもって達せんとする人間の努力を意味する」。その方法は瞑想である。

 しかしてその目的は、私の領解する限りにおいては、すべての現象の底に横たわる原理、能(あた)うべくんば絶対そのものを確知し、かくして自己をばこの絶対と調和せしむるにある。かくのごとく定義してみれば、この教えは一宗派の教義(ドグマ)以上のものであって、何人(なんぴと)にても絶対の洞察に達したる者は、現世の事象を脱俗して「新しき天と新しき地」とに覚醒するのである。

岩波文庫 武士道 P33 より





武士道 (岩波文庫 青118-1)
新渡戸稲造
岩波書店





 新渡戸稲造の武士道「 第二章 武士道の淵源 」の冒頭(上記)に、仏教のことが短い文章で端的に記述されています。仏教の難しい言葉や思想は非常にわかりにくく、取っつきにくいことが多いですが、仏教ってなに?と聞かれたとき、この文章はざっくりとその目指すところを示してくれています。
 人生と瞑想を接着させ、洞察を深めることの重要性を認識させるこの文章は、理不尽なことや避けられない問題を前にしたときに、根本的な解決を導くための橋頭堡であるように思えます。


≪関連リンク≫
新渡戸稲造 - Wikipedia
新渡戸稲造 - 近代日本人の肖像

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二十一世紀を生きる君たちへ 司馬遼太郎

2014年03月20日 | お気に入りの文章、お話

私は歴史小説を書いてきた。

もともと歴史が好きなのである。
両親を愛するようにして、歴史を愛している。

歴史とはなんでしょう、と聞かれる時、
「それは、大きな世界です。かって存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです」
と、答えることにしている。

私には、幸い、この世にすばらしい友人がいる。



歴史の中にもいる。

そこには、この世で求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、
私の日常を、はげましたり、なぐさめたりしてくれているのである。

だから、私は少なくとも二千年以上の時間の中を、生きているようなものだと思っている。
この楽しさは ― もし君たちさえそう望むなら ― おすそ分けしてあげたいほどである。
 


ただ、さびしく思うことがある。
私が持っていなくて、君たちだけが持っている大きなものがある。
未来というものである。

私の人生は、すでに持ち時間が少ない。
例えば、二十一世紀というものを見ることができないにちがいない。

君たちは、ちがう。
二十一世紀をたっぷり見ることができるばかりか、そのかがやかしいにない手でもある。



もし「未来」という町角で、私が君たちを呼びとめることができたら、どんなにいいだろう。

「田中君、ちょっとうかがいますが、あなたが今歩いている二十一世紀とは、どんな世の中でしょう。」

そのように質問して、君たちに教えてもらいたいのだが、
ただ、残念にも、その「未来」という町角には、私はもういない。

だから、君たちと話ができるのは、今のうちだということである。



もっとも、私には二十一世紀のことなど、とても予測できない。
ただ、私に言えることがある。それは、歴史から学んだ人間の生き方の基本的なことどもである。



昔も今も、また未来においても変わらないことがある。

そこに空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物、
さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きているということである。

自然こそ不変の価値なのである。

なぜならば、人間は空気を吸うことなく生きることができないし、
水分をとることがなければ、かわいて死んでしまう。


さて、自然という「不変のもの」を基準に置いて、人間のことを考えてみたい。

人間は ― くり返すようだが ― 自然によって生かされてきた。
古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。
歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。


この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。

人間こそ、いちばんえらい存在だ。という、思いあがった考えが頭をもたげた。

二十世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といっていい。



同時に、人間は決しておろかではない。
思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。
つまり、私ども人間とは自然の一部にすぎない、というすなおな考えである。

このことは、古代の賢者も考えたし、また十九世紀の医学もそのように考えた。
ある意味では平凡な事実にすぎないこのことを、
二十世紀の科学は、科学の事実として、人々の前にくりひろげてみせた。

二十世紀末の人間たちは、このことを知ることによって、
古代や中世に神をおそれたように、再び自然をおそれるようになった。

おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、
二十一世紀に近づくにつれて、終わっていくにちがいない。



「人間は、自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている」

と、中世の人々は、ヨーロッパにおいても東洋においても、そのようにへりくだって考えていた。

この考えは、近代に入ってゆらいだとはいえ、近ごろ再び、
人間たちはこのよき思想を取りもどしつつあるように思われる。

この自然へのすなおな態度こそ、二十一世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。
そういうすなおさを君たちが持ち、その気分をひろめてほしいのである。
そうなれば、二十一世紀の人間は、よりいっそう自然を尊敬することになるだろう。

そして、自然の一部である人間どうしについても、前世紀にもまして尊敬し合うようになるのにちがいない。
そのようになることが、君たちへの私の期待でもある。



さて、君たち自身のことである。

君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。

自分にきびしく、相手にはやさしく。
という自己を。
そして、すなおでかしこい自己を。

二十一世紀においては、特にそのことが重要である。

二十一世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。
科学・技術が、こう水のように人間をのみこんでしまってはならない。
川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が、
科学と技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。


右において、私は「自己」ということをしきりに言った。自己といっても、自己中心におちいってはならない。

人間は、助け合って生きているのである。

私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。
ななめの画がたがいに支え合って、構成されているのである。

そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きている。
社会とは、支え合う仕組みということである。
原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。
それがしだいに大きな社会になり、
今は、国家と世界という社会をつくり、たがいが助け合いながら生きているのである。
自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。



このため、助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。

助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。
他人の痛みを感じることと言ってもいい。
やさしさと言いかえてもいい。

「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」

みな似たような言葉である。
この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。
根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。

その訓練とは、簡単なことである。
例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、
そのつど自分の中でつくりあげていきさえすればよい。

この根っこの感情が、自分の中でしっかり根づいていけば、
他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。

君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、
二十一世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるにちがいない。



鎌倉時代の武士たちは、「たのもしさ」ということを、たいせつにしてきた。

人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。
人間というのは、男女とも、たのもしくない人格に魅力を感じないのである。

もう一度くり返そう。
さきに私は自己を確立せよ、と言った。
自分にきびしく、相手にはやさしく、とも言った。
いたわりという言葉も使った。
それらを訓練せよ、とも言った。
それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。
そして、”たのもしい君たち”になっていくのである。

 

以上のことは、いつの時代になっても、
人間が生きていく上で、欠かすことができない心がまえというものである。


君たち。


君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。

同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない。

私は、君たちの心の中の最も美しいものを見つづけながら、以上のことを書いた。

書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。



司馬遼太郎





1989年 「 小学国語六年下 」 大阪書籍

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あぷ日記 Photo アルバム