Apu の All That I Am

公開備忘録のような投稿です。もしご興味をお持ち頂けましたら、PC版でご覧下さいますと嬉しいです!

乗鞍・大黒岳からの眺望 ~ お気に入りの一枚 ~



   

 以前に家族で乗鞍に出かけたときに撮った写真です。太平洋沿いに台風が通過していった翌朝に登りました。大変素晴らしい雲海も見ることが出来て家族で感動しました。マイカー規制があって、鈴蘭でバス待ちをしていた時に娘とUFO?を見たのも良い思い出です。その後、野生の熊が観光客を襲ったことがあり、うちの家族はもう行きたくないと言っています(涙)まぁ、そう言いつつもまた連れて行くつもりですが!この時の写真をスライドショーにしました。やっぱり雲海が素晴らしかったです。是非 「 乗鞍と大黒岳からの眺望 」 のリンクから見て行ってください。

もし記事にご興味がございましたら、カテゴリー毎にご覧くださると読み易いかと思います。
ページ最下部は「あぷ日記 Photo アルバム」です。過去投稿した写真のスライドショーです。
ちなみにニックネームの「あぷ」ですが、かれこれ十数年前のこと、言葉を覚えたての下の娘が「パパちゃん」と言えずに「あぷちゃん」と喋っていたのが由来です。しかし、こんな腰砕けなニックネームいつまで使うのだろうかと、そろそろ疑問と限界を感じております…(^^;)

高野山準別格本山 釈迦文院

2016年06月10日 | あぷ日記


   
   

 今回は初めての宿坊でした。奥様らしき女性に優しく声を掛けられ、すぐに部屋に案内されると、つい畳が心地良くって横になってしまいました。そして、しばらく経つと外は雨模様に…。お庭の枯山水も打たれた雨で湿り始め、宿坊には静かで贅沢な時間が流れていました。

 こちらから奥の院までは距離がありますが、千手院橋からもほど近く、大師協会は目の前、伽藍や霊宝館もすぐ、、という恵まれた場所にあります。今まで何度も目の前を行き来していますが、入口の石柱ばかりが記憶に残っていて、実際は良く知りませんでした。

 また、こちらの釈迦文院は奥の院(燈篭堂)にある「貧女の一灯」に関係した祈親上人(定誉)ゆかりのお寺とのことでした。私は祈親上人のことも殆ど知らずにいました。調べると、祈親上人は両親への思い厚く、平安時代後期に衰退した高野山の復興に尽力されたそうです。その祈親上人の足跡に触れると、まだまだ甘えも残るくせに、感謝を忘れている我が身の何と情けないものか…と改めて感じてしまいましたね。

 実は以前から「仏説父母恩重経」(中国由来の偽経とされますが…)と言う経典が気になっていて、今回ふと立ち寄った松本日進堂さんで、その「仏説父母恩重経」を見つけたものですから、つい「薬師如来本願功徳経」と「九字護身法」とあわせて買い求めてしまいました。

 最終日、足の悪い父は「一の橋から(奥の院まで)歩く!」と気張りました。しかし結局、途中リタイヤとなり、致し方なく、私は生まれて初めて父を背負って歩くことになりました。その最中、多少なりとも様々思いましたけど、もしかしたら、これも祈親上人の御導きなのではないか…と、徐々に思えてくるのでした。

 確か、日野原重明先生は「いのち」とは「生きている時間がある…と言うことだ」と仰ったように記憶しています。そして、良くも悪くも「縁」とは、そこにお互いの「いのち」が一緒にいられる時間がある…とも思えてきて、気付けば刹那で危ういこの「縁」に何を見出すのか、、何かそんなことを考える良い時間になりました。

 朝のお勤めも読経が心地良く、私も小さく一緒にお唱えさせてもらいました。質素で落ち着きのある釈迦文院は、己に向き合うにはとても良い場所のように感じます。お精進も美味しく頂きました。また機会がありましたらお伺いしたいと思います。本当にありがとうございました。合掌。


≪関連リンク≫
高野山準別格 釋迦文院 公式ホームページ
祈親上人 ( 958~1047 ) 高野山復興壱年記念行事 祈親灯奉納式 - 高野山大学
【 灯火奉納 】 祈親上人しのび 高野山大・高学生・生徒ら 奈良長谷寺まで行脚 - 和歌山 毎日新聞

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五月晴れ 伊賀上野城

2016年06月05日 | あぷ日記


 去る 5月29~31日と高野山参詣に出ておりました。前泊で父と 2人で伊賀に宿泊したのですが、その翌朝、折角なので「伊賀上野城」を見てきました。史的考証がされていない模擬天守とのことですが、なかなか立派で存在感がありました。石垣の高さは日本一、二らしいです。
 ただ、車椅子を押して登城するのは何気に大変でした。あ、帰りの坂を下るのも…(汗) しかし、、父を乗せた車椅子を押していると、何と言うか、今まで本当にいろいろあっただけに、自らのこの光景には考えさせられました。まぁ、天気が良くって心地良かったです! 5月29日登城。
 高野山参詣の記事はいずれまた…。



≪関連リンク≫
三重県伊賀市の伊賀上野城公式ホームページ
上野城 - wikipedia
上野城 - トリップアドバイザー


   
   
   

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武士道の淵源(仏教について)

2016年06月04日 | お気に入りの文章、お話
 まず仏教から始めよう。

 運命に任すという平静なる態度、不可避に対する静かなる服従、危険災禍に直面してのストイック的なる沈着、生を賤(いや)しみ死を親しむ心、仏教は武士道に対してこれらを寄与した。ある剣道の達人〔柳生但馬守〕がその門弟に業(わざ)の極意を教え終わった時、これに告げて言った、「これ以上の事は余の指南の及ぶところではなく、禅の教えに譲らねばならない」と。

 「禅」とはディヤーナの日本語訳であって、それは「言語に表現の範囲を超えたる思想の領域に、瞑想をもって達せんとする人間の努力を意味する」。その方法は瞑想である。

 しかしてその目的は、私の領解する限りにおいては、すべての現象の底に横たわる原理、能(あた)うべくんば絶対そのものを確知し、かくして自己をばこの絶対と調和せしむるにある。かくのごとく定義してみれば、この教えは一宗派の教義(ドグマ)以上のものであって、何人(なんぴと)にても絶対の洞察に達したる者は、現世の事象を脱俗して「新しき天と新しき地」とに覚醒するのである。

岩波文庫 武士道 P33 より





武士道 (岩波文庫 青118-1)
新渡戸稲造
岩波書店





 新渡戸稲造の武士道「 第二章 武士道の淵源 」の冒頭(上記)に、仏教のことが短い文章で端的に記述されています。仏教の難しい言葉や思想は非常にわかりにくく、取っつきにくいことが多いですが、仏教ってなに?と聞かれたとき、この文章はざっくりとその目指すところを示してくれています。
 人生と瞑想を接着させ、洞察を深めることの重要性を認識させるこの文章は、理不尽なことや避けられない問題を前にしたときに、根本的な解決を導くための橋頭堡であるように思えます。


≪関連リンク≫
新渡戸稲造 - Wikipedia
新渡戸稲造 - 近代日本人の肖像

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あぷ日記 Photo アルバム