七つの気まぐれな部分(頭部・両手・胴体・生殖器・両足)から成るこの粗大な身体、私はそれではない。五つの感覚器官、聴覚・触覚・視覚・味覚、そして嗅覚は、それぞれの対象である。音、感触、色や形、味、そして匂いをとらえるけれども、私はそれらではない。五つの能動的な器官、発声・運動・認識・排泄および生殖器官は、それぞれに話すこと、動きまわること、認識すること、排泄すること、楽しむことを機能するが、私はそれらではない。(*1)五つの生気、すなわち(*2)プラーナその他のものは、それぞれ吸気その他の働きをするけれども、それらは私ではない。ものごとを考える心すらも、私ではない。対象物の印象のみが刻みこまれている無知、そこに対象物の働きかけもない無知も私ではない。
『ラマナ・マハリシの教え(めるくまーる社)』 … 私は誰か ⇒続く
『ラマナ・マハリシの教え(めるくまーる社)』 … 私は誰か ⇒続く
ラマナ・マハリシの教え | |
ラマナ・マハリシ/山尾三省(訳) | |
めるくまーる |