Apu の All That I Am

公開備忘録のような投稿です。もしご興味をお持ち頂けましたら、PC版でご覧下さいますと嬉しいです!

1.私は誰でしょうか?

2011年04月27日 | ラマナ・マハリシの言葉
 七つの気まぐれな部分(頭部・両手・胴体・生殖器・両足)から成るこの粗大な身体、私はそれではない。五つの感覚器官、聴覚・触覚・視覚・味覚、そして嗅覚は、それぞれの対象である。音、感触、色や形、味、そして匂いをとらえるけれども、私はそれらではない。五つの能動的な器官、発声・運動・認識・排泄および生殖器官は、それぞれに話すこと、動きまわること、認識すること、排泄すること、楽しむことを機能するが、私はそれらではない。(*1)五つの生気、すなわち(*2)プラーナその他のものは、それぞれ吸気その他の働きをするけれども、それらは私ではない。ものごとを考える心すらも、私ではない。対象物の印象のみが刻みこまれている無知、そこに対象物の働きかけもない無知も私ではない。

 『ラマナ・マハリシの教え(めるくまーる社)』 … 私は誰か ⇒続く





 ラマナ・マハリシの教え
 ラマナ・マハリシ/山尾三省(訳)
 めるくまーる
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2 コメント

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(*1)五つの生気 (訳注)
2011-05-21 11:06:01
生気という語はプラーナというサンスクリット語の訳である。プラシナ・ウパニシャッドによれば生気は、排泄と生殖の両器官を司る呼気(アパーナ)、眼と耳と口と鼻を司る生気(プラーナ・出気)、胴体を司る等気(サマーナ)、心臓から流れ出て毛細血管に至るまでのすべての血管を司る介気(ヴィアーナ)、そして人間の善悪の行為によって人を上昇させたり下降させたりする上気(ウダーナ)、の五つに分かれる。この五気(五風とも言う)のすべてを支配するものは、生気としてのプラーナである。これは別のもっと古いターイッティリーヤ・ウパニシャッドに出てくる。人間の自我が生気より成り立っているという説(生気所成我説)を受けて、これを細かに分析したものである。
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(*2)プラーナ (訳注)
2011-05-21 11:14:09
前注の五気の内の一つとしてのプラーナは狭義のものであって、一般的にはプラーナと言えば、すべての生物を支配している生命素としての気を意味している。最古のウパニシャッドと言われるチャンドーギァ・ウパニシャッドによれば「プラーナはまことに希望よりも広大である。例えば車の輻(や)が轂(こしき)に集中しているように、すべての生物はプラーナによって統一されている」と述べられている。時代が下がってヨーガの行法が盛んになってくると、その中の大切な一要素としてプラーナヤーマ(調息)が設定されるようになる。この場合のプラーナは生気であると同時に呼吸そのものをも意味するようになる。
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