清少納言の恋の場の歌1.
馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~恋する黒髪~ からの抜粋簡略版
切れのよい文体で綴られた「枕草子」とは対照的に、その歌を集めた「清少納言集」は歯切れがよくない。人ごとならぬ自分の人間関係ともなれば、清少納言といえどもこういうことになるのだろう。
家集は「私家集大成」に二種類収録されているが、「百人一首」に採られて代表歌となった
「夜をこめて鳥のそらねにはかるともとよに逢坂の関はゆるさじ」
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【現代語訳】
まだ夜が明けないうちに、にわとりの鳴き真似をしてだまそうとしても、(中略)、あなたと逢う逢坂の関所は、決して通ることはできないでしょう。
解説
ある日の夜、夜更けまで清少納言と話しをした藤原行成は、早々に帰ってしまいました。そして翌朝、言い訳の文を寄こした行成に対して詠んだ歌です。
これだけの歌をとっさに詠み、男性の嘘を指摘する頭の良さはやっぱりずば抜けてるのではないでしょうか。
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などは収録されていない。
歌数も少なく、「清少納言集」の「Ⅰ」に三十首、同じく「Ⅱ」には四十首、他作もまじるというぐあいであるから、才にまかせて詠み散らし、記録されなかったものも多いだろう。もっとも清少納言は、梨壺の五人と呼ばれ「後撰集」を勅撰した清原元輔の女(むすめ)であったから歌を詠むことにきわめて遠慮があったらしい。「枕草子」に自ら語り、中宮にもそのコンプレックスを冷やかされているから、得意の分野ではなかったようだ。ともかく意外な清少納言がみえてくる恋がらみの日常のことばに触れてみよう。
清少納言の歌は「後拾遺集」に初出するが、恋の歌は「詞花集」以降に採られている。
心かはりたる男にいひつかわしける
わすらるる身はことわりと知りながら思いあへぬはなみだなりけり 「詞花集」恋下
これは男との情の回復を願っているようにみえる。男に忘れられる、つまり他の女に情を移されてしまうというのは、やはり相当にプライドを傷つけられることである。その男のもとに「わすらるる身はことわり」だといってやるのだから、ずいぶんな低姿勢といわなければならない。清少納言自身の方に非があって「わたしが悪かった」といっているのだ。その上でこの歌の訴えは下句にある。判断として自分の至らなさを自覚しているのに、男に対する情として涙が流れる。流れる涙は男との別れを「思いあへぬ」納得できないでいるのだ。「清少納言集」(Ⅱ)の詞書によれば、この歌には長大な手紙もついていたらしい。よほどその仲を惜しいと思っていたのだろう。もっとも、男女の間が親密になってからのちは、互いにその思いの深さを言い合い、そのはてにはちょっとしたことを恨みあったりするのも、親密さを増すテクニックというところがあったようだ。
続く(かもしれない)