清少納言の恋の場の歌 4.
馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~恋する黒髪~ からの抜粋簡略版
(ー3の続き)
初信の歌だけあって歌がらも引きつくろって(体裁をととのえて)いる。いやらしくないほどの色めかしさと才気はいかにも清少納言らしく、断られた時の用意ももちろんあったはずだ。恋の歌とは一種の挑発なのである。こうして親しくなってのち、ある男はこんなことをいう。
住吉に詣でて、いととくかへりて来なん、その程ゆめ忘れたまふな、といいたるに
いづかたに茂りまさると忘れ草住吉ののにながらへてみよ 「清少納言集」(Ⅰ)
(あなたを忘れる忘れ草など、どこにのこっているのですか。どうぞ「住みよし」という気分のよさそうなところに充分御逗留なさるといいわ)
ずいぶん色よい返信であるが、当時の住吉詣は貴人にとっての最大の遊山(ゆさん)、直会(なおらい:神道の儀式の一種で神事の最後に供物やお酒を飲食すること)には浦伝いに江口、神崎も近く楽しみの多い日程が組まれていたであろう。
それを計算に入れればこの歌にも多少の皮肉はこめられている。「清少納言集」(Ⅱ)の方では下句が「よし住みよしとながらえてみよ」とあってよりわかりやすい。
「住吉でどんなに遊んで来られても待っていますわ」という寛容さがかえって軽いだろうか。「ゆめ忘れたまふな」という言葉は旅する前にしばらく逢えない歎きとともに女に言いおく常套的なものであったから、女の方も、「言っていらっしゃい」というほどの気楽さでうたっているともいえる。しかし、この歌のような餞別のことばをもらったら男としてはかなり嬉しいにちがいない。
この項終わり(このあと、藤原実方と清少納言の恋の歌を予定)