藤原道長の住む「土御門殿 つちみかどどの」はもともと妻になった源倫子の持参した巨大な大邸宅でした。道長は自分の権威を上げるため倫子と結婚したのですが、倫子は言葉少なに行動や表情で強く自己主張をしていました。そのため道長は倫子にだけは頭が上がらず絶対服従の生活をしていて、その様子を見た大勢の女房たちに笑われることもありました。
道長が絶大な権力を持ってからも自分の娘が中宮彰子になるまで、一条天皇側との複雑な駆け引きが長く続きました。そこで定子24歳のときに、定子は皇后、彰子は13歳で中宮という二后冊立という曖昧な状態になりました。
定子と一条天皇の間柄は一条天皇7歳のときから一緒に生活を始め、定子の兄藤原伊周(これちか)も一緒に漢学を学んで心を開いた関係になっていました。一条天皇と定子の関係は当時としては珍しい純愛感情だと言えるようです。
そこで藤原道長は定子を徹底的にいじめたので、定子は衰弱して24歳で死亡しました。この時、一条天皇21歳です。そして、彰子は一条天皇の唯一の中宮になりました。ちなみにこの頃清少納言は定子のもとを去りましたが、「枕草子」に定子の明るく気さくな生活の頃を、定子が生きているかのように書き続けます。
しかし、一条天皇は中宮彰子との間でなかなか子供を作らなかったのです。定子の生んだ子を天皇にしたいと考えていたからです。道長は、一条天皇の気持ちを中宮彰子に向けようと工作を始めました。中宮彰子の女房達の活気のない環境を定子と女房たちの活気に満ちたサロンのような環境に再現して、中宮彰子の活気に満ちたサロンを作り始めたのです。
そして、道長はサロン作りだけでなく、出産祈願のため吉野山の蔵王権現に参って、一条天皇に圧力をかけました。一条天皇も道長の強い意志と圧力に負け、ついに中宮彰子の懐妊が実現しました。
このあと紫式部登場となりますが、それはまたいつか・・・
参考 山本淳子著 著紫式部ひとり語り
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