23 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 2チ なぜ新鋭艦が真珠湾にいなかったのか 」
第2章
米政府が秘匿した真珠湾の真実 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
2イ 開戦を前にした昭和天皇の懊悩
2ロ 悲痛の極み、宮中御前会議
2ハ 山本五十六の無責任発言
2ニ アメリカに腰抜けだった連絡会議の結論
2ホ 日本艦隊の攻撃を待ちのぞむアメリカ
2ヘ 開戦強要の最後の一手”ハル・ノート”
2 ト その時、ルーズベルト(FDR)は何をしていたか
2チ なぜ新鋭艦が真珠湾にいなかったのか
2リ 万策尽きての開戦決定
2ヌ 暗号解読で、事前にすべてを承知していたアメリカ政府
2ル ハワイにだけは情報を伝えなかった謎
2ヲ アメリカの参戦決定と、チャーチルの感激
2ヨ ルーズベルト(FDR)は、いかにして四選を果たしたか
2タ 終戦の方策を考える余裕すらなかった日本
2レ アメリカで追及された真珠湾奇襲の真相
2ソ 終戦一年半前に作られた日本占領統治計画
2ツ 日本国憲法にこめたアメリカの狙い
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2チ なぜ新鋭艦が真珠湾にいなかったのか
ハルは、野村、来栖両大使に”ハル・ノート”を手交した二日後に、イギリス駐米大使のハリファックス卿と合った。
ハルは、「日本との外交関係は、事実上、終わった。仕事は、すでに陸海軍の手に移った。日本は突然に動き、それも完全な奇襲となるはずだ」と、告げた。
その直後に、ハルはケイシー・オーストラリア公使(当時は、大国だけが大使を派遣することができた)が、調停の労をとろうと申し出たのに対して、「もはや、外交の舞台ではない」と、断っている。
戦後、東京裁判において、インドのラダビノト・パル判事が日本を無罪とする判決書を提出したが、そのなかで”ハル・ノート”について、「たとえ、モナコのような小国であったとしても」、敢然として戦うことを選んだだろうと、述べている。
11月26日に、キンメル太平洋艦隊司令官はスターク海軍作戦部長から、突然、空母「エンタープライズ」と「レキシントン」で、ウェーキ島とミッドウェー島へ、陸軍の戦闘機を運ぶように命じられた。
二隻の空母はキンメルの指揮下にあって、真珠湾を母港としていた。キンメルは両空母を使って、ハワイ近海で模擬演習を予定していたが、ワシントンの命令に従った。
11月28日に、「エンタープライズ」が巡洋艦などの11隻の新鋭艦によって護られてウェーキ島へ、12月5日に「レキシントン」が、やはり8隻の新造艦を伴って、ミッドウェー島へ向けて出港した。
真珠湾に残ったのは、戦艦「アリゾナ」をはじめとしてほとんどが、第一次大戦からの旧型艦だった。真珠湾から、二隻しかなかった空母が出払った。
今日では、ノックス海軍長官が日本の機動部隊がハワイへ向かっているのを知って、ルーズベルト(FDR)大統領の承認を得たうえで、二隻の空母を真珠湾から出航させたと、解釈されている。両空母はウェーキ島、ミッドウェー島へ向かっていたが、真珠湾が奇襲された直後に、急遽、ハワイに引き返した。
参考:加瀬英明著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」
加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長