30 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 2レ アメリカで追及された真珠湾奇襲の真相 」
第2章
米政府が秘匿した真珠湾の真実 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
2イ 開戦を前にした昭和天皇の懊悩
2ロ 悲痛の極み、宮中御前会議
2ハ 山本五十六の無責任発言
2ニ アメリカに腰抜けだった連絡会議の結論
2ホ 日本艦隊の攻撃を待ちのぞむアメリカ
2ヘ 開戦強要の最後の一手”ハル・ノート”
2 ト その時、ルーズベルト(FDR)は何をしていたか
2チ なぜ新鋭艦が真珠湾にいなかったのか
2リ 万策尽きての開戦決定
2ヌ 暗号解読で、事前にすべてを承知していたアメリカ政府
2ル ハワイにだけは情報を伝えなかった謎
2ヲ アメリカの参戦決定と、チャーチルの感激
2ヨ ルーズベルト(FDR)は、いかにして四選を果たしたか
2タ 終戦の方策を考える余裕すらなかった日本
2レ アメリカで追及された真珠湾奇襲の真相
2ソ 終戦一年半前に作られた日本占領統治計画
2ツ 日本国憲法にこめたアメリカの狙い
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2レ アメリカで追及された真珠湾奇襲の真相
アメリカでは、ノックス海軍長官が真珠湾攻撃から間もなく、調査のために現地を訪れて、ルーズベルト(FDR)大統領に報告書を提出した。
当時、極秘にされた報告書は、「ショートも、キンメルも、ワシントンにおいて日本政府から野村大使に送られた指示を傍受することによって明らかだった奇襲についてのはっきりした兆しについて、何も知らされていなかった。
傍受した日本の機密電報は、野村大使が日本の最終覚書を、ハル国務長官に日曜日午後一時に手渡すことを、厳密に指示しており、何らかの形で奇襲が行われることを、意味していた」と、述べていた。
12月16日に、キンメル太平洋艦隊司令官とショート陸軍司令官は、ルーズベルト(FDR)大統領によって、「職務怠慢(ディレリクション・オブ・デューティ)」のかどで罷免された。同時に、キンメルとショートは、それぞれ大将と中将から、少将に降格された。
キンメルの後任に、ウィリアム・パイ中将が太平洋艦隊司令長官として、任命された。ワシントンは、パイがキンメルと交替してから、「マジック」情報をはじめてホノルルに送るようになった。
日本によって真珠湾が奇襲され、アメリカ海軍が甚大な大損害を被ったことから、アメリカ議会がその週のうちに、未曾有の惨禍の原因と、その責任について調査を始めた。
しかし、究明しようとしても、「マジック」情報が、その鍵だった。
戦時下だったから、アメリカが日本の外交暗号すべてと、日本の海軍暗号を一部解読していることを、公にすることはできなかった。
アメリカ海軍は開戦に至るまでの「マジック」情報を、すべて金庫のなかに収めて、封印してしまった。
キンメルは1946(昭和21)年に、議会において行われた真珠湾奇襲の真相を調査する委員会に出席して、「もし、自分に十分な情報が与えられていさえすれば、ハワイを防衛するのに必要な措置をとることができた」と、訴えた。
参考:加瀬英明著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」
加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長