33 補足 ハリー・デキスター・ホワイトとケインズ
渡辺惣樹氏著作「第二次世界大戦 アメリカの敗北」から抜粋再編集
副題:米国を操ったソビエトスパイ
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第七章 ハリー・デキスター・ホワイトとケインズ (一部引用編集)
フランクリン・デラノ・ルーズベルト(FDR)が、最もあてにしているドイツ人皆殺しを考えるユダヤ系モーゲンソー財務長官は、同じユダヤ系のホワイト(ソビエトスパイ)を財務長官補佐官に昇格させると同時に、戦後国際金融スキームの構築という極めて高度なプロジェクトをホワイトに任せることで、財務長官の右腕(分身)として、本来、国務省が管轄するはずの外交マターに関与させることを明確にした。
1941年12月14日(日曜日)の朝、ホワイトにモーゲンソーから電話があった。モーゲンソーは前夜に見た夢の話を聞かせた。真珠湾攻撃の1週間後のことである。
「不思議な夢を見た。この戦争が終わったら世の中は世界通貨(international currency)で動くようになっていた。その通貨は中央基金(a central fund)なる組織がコントロールしている。この夢には実現性があるのだろうか。それを検討してくれないか」
ホワイトは、モーゲンソーの夢を聞かされた二週間後(12月30日)には原案をまとめ上げた。ケインズも同様に英国案を出した。二人はそれぞれの案を吟味した。二人とも1929年に始まった世界恐慌の原因は為替相場の混乱にあったと分析していただけに、戦後は為替レートの安定が必要だという点では一致した。
しかし金の保有量が激減した英国(ケインズ)は、為替価値を金とリンクさせないシステムにしたかった。一方で、当時の世界の金の七割以上を保有する米国(ホワイト)は、金本位制(正確には金為替本位制)を維持する案を出していた。
世界的名声のあるケインズではあったが、英国は戦後復興にアメリカの資金を必要とすることがわかっていた。それだけにアメリカの主張に抵抗することは厳しく、ホワイトとの交渉では劣勢に立った。実務協議は十八ヵ月にわたって秘密裏に進んでいたが、1943年4月、「ファイナンシャルニューズ」(後に「ファイナンシャルタイムズ」に吸収された)のポール・アオジングによって報道され、世間の知るところとなった。実務者協議が国家間の正式交渉に格上げされたのは同年秋のことであった。
1944年1月、ホワイトはソビエト代表とも協議している。当時は新国際通貨制度(後の国際通貨基金:IMF)にソビエトが参加することが前提で協議されていた。
ホワイトは、まだ結論が出ていないにもかかわらず、新体制は金(為替)本位制がベースになると説明していた。
ホワイトの発言にはソビエトを喜ばせる意図があった。金の産出国であるソビエトにとっては、金本位制度に基づく新通貨システムは、(たとえドルだけにリンクする仕組みであったとしても)好都合だった。
その意味で、ホワイトの動きはソビエトの意向にかなうものであった。「このことをケインズが知ったなら機嫌を損ねたに違いなかった」。