「偽善が社会に落ち着きを」 一部引用編集簡略版
加藤氏はアメリカのホテルに泊まると、落ち着きがないので休まらない。イギリスの格式のあるホテルでは、従業員の躾がすばらしい。
廊下ですれ違っても、目を合わせることがない。ルームサービスを頼んでも、ほとんどわからないように入ってきて、飲み物や料理をセットすると、にわかに出ていく。このあいだに必要最小限の会話しかない。小気味良いほどだ。
ほんとうのサービスは、サービスをしていることを客にまったく感じさせないものだ。与えられた役割だけを適確に演じることだ。イギリスのホテルやクラブの従業員は、見事なまでにその役に徹している。
従業員のこのような振る舞いは、代々にわたって召し使いを使ってきた貴族社会の伝統が培ったものだ。それに、ホテルの従業員までがうやうやしい態度をとるのは、イギリスに王室があるからだろう。アメリカはもちろん、ヨーロッパの共和制の国では見られないことだ。
王室があると人々はより偽善的になる。しかし、人々が野放図で野卑であるよりも、偽善的であるほうがはるかによい。偽善は善を模倣するのだから、悪いものであるはずがない。偽善は社会に落ち着きを与えてくれる。
日本人はまだ日常の生活の中で形を重んじて礼儀正しいし、敬語が使われているから救われる。言葉は人の生き方を決める、もっとも強い力をもった鋳型である。日本社会における敬語は、イギリス人にとっての英語の抑揚や言い回しに当るものなのだろう。
イギリスは人にたとえてみれば、先祖から美しい広壮な家を受け継いですんでいるようなものだ。その家を深く愛しているのに、どうしたらその家を現代の生活に適応させることができるのか、とまどっている人に似ている。これはなんとも難しいことだ。古い家は屋根や床下、壁を絶え間なく補修しなければならない。
参考:加瀬英明著「イギリス 衰亡しない伝統国家」
加瀬英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長