色好みの代名詞 平中
馬場あき子氏著作「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」一部引用再編集
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前半のつづき
後半 色好み平中という男
浮き草の身は根を絶えてながれなむ涙の川のゆきのまにまに 平中
(浮き草のように拠りどころもない人生を送る私は根なし草のように、涙の川の流れのままにさすらっていくのでしょう)
おくれゐて嘆かむよりは涙川われおり立たむまづながるべく 女
(あなたに取り残されて悲哀を味わうよりは、その涙川にはまずわたくしが入ってゆきましょう。あなたより先に涙川に流れてゆきます)
この女はあの言い寄った女とは別の女だろう。ずっと男の立場や気立てをよく心得た慰め役のようである。女は、男がすぐに東に下向するなどと思ってはいず、同情されたい甘え心があることをよく見抜いて、「私が先に涙川に流れます」などとやさしい歌を返してくれたのだ。
男は親ともども憂くつらい思いをして二年待ったが運命は開けてこない。そこで最後の手段として、男は父の叔母に当たる母后に縋(すが)ろうと思い、侍女のもとに歌を送った。
なりはてむ身をまつ山のほととぎすいまはかぎりと鳴き隠れなむ
(わが身の成りゆきを、御縁に縋る思いで待っていたのですが、それももう終わりでしょうか。鳴きしきる時鳥のように、声を限りに泣きつつ今は身を隠すほかありません)
さすがに女房たちは皆同情して、母后に申し上げたところ、母后も血縁の青年ではあり、帝にいろいろとお取り成なしをなさる。ついに帝も「怠慢をこらしめるためですよ」と、以前より少し上級の官職を下されたのだった。
男は二年の逼塞(ひっそく)ののち、やっと復活がかなったのである。これがうだつの上がらぬ官人平貞文の姿であった。とはいえ、こうした貞文を窮地から脱出させたのは、ことごとく女たちであり、その仲だちをしたのは歌である。平中、貞文にとって、女と歌はこのように人生の守護神同様のありがたいものでもあったから、その交際の範囲は広がる一方であったといえるかもしれない。
平中がこの世で最も得意を味わう場面といえば、才気ある美貌の女と、逢う、逢わぬの恋の駆け引きを介して人の世の不如意(ふにょい:思いのままにならぬこと)を嘆く歌を詠み、時には思いがけぬよろこびを得て歌を詠み合う場面であったろう。恋の場を介して、千変万化(せんぺんばんか)の人の心を味わい尽くすことこそ、恋を得る以上に色好みの愉悦とするところであったはずだ。
次回 女たちの挑発 伊勢と平中
(難解です) につづく
参考 馬場あき子氏著作
「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」