色好みの代名詞 平中
馬場あき子氏著作「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」一部引用再編集
*******
3-1 色好みの恋とその終焉
平中の色好みの噂はかなり有名で、女の方からも、「自分こそ」という挑みをもつ者も少なくなかったらしい。ある女もその一人で、男の方もその女の色好みの噂は充分聞き知っていた。どういう”つて”があったのか、まず歌をよこしたのは女の方からである。
心あだに思ひさだめず吹く風の大空ものと聞くはまことか
(徒(あだ:実のないこと、浮気)な心をもっておいでの方,どこという当てもなく吹く風のように、浮気な、いい加減な方という噂は本当でしょうか)
当の本人に対して、ずいぶん人を食った問いかけであるが、これは女の方も考えに考えての、いわば一代の賭けのような挑発だったと思われる。
「大空もの」という面白い言葉も注目されるが、「大空」の広さ、取りとめなさから生まれたことばが、大胆に投入されていて、女の心だましいの太さが感じられ、平中は久しぶりのいきのいい挑発をぞくぞくしながら受け止めたにちがいない。早速返事を書く。
ただよひて風にたぐへる白雲のなほこそ空のものといふなれ
(大空ものと仰しゃいますが、空のものとは当てどなく漂い風に靡く白雲のことでしょう。つまりあなたのような人のことではありませんか)
これはちょっと微笑を含みながら書かれたような返歌。「大空もの」という挑発に、やんわりと、あなたこそ、「空のもの」でしょうという時、似たようなふたりですね、という気分も含まれている。風流好みの似た者どうしの心尽くしの恋は平中の望むところである。
しかし、しばらく時間をとって様子を静かに見守っていた平中のもとに、また女の方から、こんどは風情ある桜の枝につけて歌が届けられた。
まさぐらばをかしかるべきものにぞあるわが世久しく映らずもがな
(この桜をいかが御覧になりますか。遠目もよろしいけれど、身近に手を触れて賞(め)でるのも一段とちがった面白みがあるものですよ。そう、桜はさておき、私たち二人の間は散らぬよう長つづきさせたいですわ)
平中としては女の方の恋の筋運びの早さにいささかびっくりしながら、この誘いに乗ろうと返歌をする。それは、
「今年より春の心しかはらずはまさぐられつつ君が手に経(へ)む」
(参考:催馬楽に「今年より春の心し変らずはまさぐられつつ君が手につむ」という歌を見つけました。平中はこれを引用したようですね)
と、珍しく素直な、受け身の返事だ。「まさぐられつつ」とはずいぶん濃密なことばだが、平中の方も「君が手に経む」と、すぐにも女の家に住みつきそうな心の動きである。女はこんなやり取りを、面白いと思ったらしく、「では、物越しにお会いしましょう」と言ってきた。男も喜んで家に行き、まずはつつましく御簾越しに語り合っただけで帰ってきた。
ところが何と、早朝に帰った男のもとに、女の方から早々に歌が届く。「吹く風になびく草葉とわれは思ふ」という上の句だ。女はすっかり男がきにいったのだろうか。下句では「夜半におく露退(の)きもかれずな」とまでいっている。「夜半に来て靡く草に置く露のようなあなたは、私からどうぞ離れないでください」。
男はまたびっくりした。そんなことなら「物越しに」などと初対面の日の条件に従わなくてもよかったのだ。その上、まだ共寝(ともね)もしていないのに、「捨てていかないでほしい」などと、前もって言われてしまうなど、「大空もの」と呼ばれて以来、女に先手ばかり取られている。
次回 3-2 色好みの恋とその終焉 平中(平貞文)につづく
参考 馬場あき子氏著作
「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」