この世界は幻覚なのか?
「意識」の定義は、科学者によって異なるのですが、ここでは外にあると考えられている「世界」からの刺激を感覚器官で受け取り、その情報を元に脳が再構成して感知される「世界の内観」だと仮定的に定義しましょう。
「意識」をそう定義すると、外の「世界」と脳内の「世界」が一致しているかどうかは、まったくわかりませんし、誰も確かめようがありません。その意味で「意識」は「幻覚」だといっていいと思います。
でも、その脳が作り出す「幻覚」がなぜ、こんなにも生き生きとしていて、また、それをなぜ私たちはこんなにも生き生きと感じてしまうのか。本当に不思議です。
私たちは当然のように「音を聴く」とか「光が見えた」とか「風を感じる」といっていますが、脳は音、光、風などを直接、感じることはできません。脳に入ってくるのは、感覚器官を通じて電気信号に変更された抽象シグナルだけです。音も光も風も脳に入るときには、全部電気信号に変えられてしまうので、そこに質的な差はありません。でも、脳はこれは耳(聴覚)から来た信号だから、音としよう、これは目(視覚)から来たから、光としよう、これは頬(触覚)から来たから、風圧としようと判断し、内側から身勝手に「世界」を再構成しています。
なぜ脳はただの電気信号にすぎないものを左手の触覚から来たとわかるのでしょうか。なぜ常時、体中の器官からくる電気信号を適確に解読し、生き生きとした「世界」の一部とすることができるのでしょうか。よくわかっていないのです。
(投稿者注:これはインターネットのパケット通信の仕組みを連想させます。つまり、電気信号を小さく区分けして、複数の発信元から出された信号の塊は、信号の塊に発信元と行先(宛先)のデータを含んでいて、信号の伝達途中でルータやスイッチング・ハブでそれぞれ指定された宛先に正しく信号を届けます。受け取る機器はその信号がどこからきたかすぐに識別できます。面白いですね)
脳が「意識」を形成するときにやっていることは、たとえていえば、宇宙から謎の記号で書かれた「楽譜」が届けられて、そこに記されている「音楽」を再現しているようなものです。その「音楽」は聴覚に訴えることだけはわかっているにしても、どんな楽器を使っているのかも、どんな音階で作られているのかも、わからない。でも、脳は易々と「音楽」を再現してしまう。
また、「黄色」という色は脳が作った「幻覚」そのものです。なぜなら、人の網膜には、赤と緑と青を感じるセンサーしかありません。でも、脳は赤と緑の電気信号が同時に来ると、勝手に脳内で色を混ぜて、「黄色」をつくってしまう。この現象は、右目に赤、左目に緑を同時に見せても起こります。つまり、このとき脳は外界にないものを脳内でつくっていることになります。それって、「幻覚」そのものですよね。
――続く
参考:文藝春秋SPECIAL