山本淳子氏著作「平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む」から抜粋再編集
光源氏18歳の十月。朱雀院への行幸を前に、清涼殿で試楽が催された。行事に同行しない藤壺女御に舞楽を見せたいという桐壺帝のはからいである。光源氏は頭中将と二人で青海波を舞い、見る者たちの絶賛を浴びた。しかし藤壺は、光源氏の過激な恋心を疎み、何も知らず称賛する桐壺帝に対して言葉少なにしか応対できない。同じ頃、光源氏は二条院で若紫を慈しみつつ、その純真さに癒されていた。正妻の葵の上は相変わらず冷淡で、若紫を新しい愛人と思い込み、光源氏との溝を深める。
藤壺は翌年二月に、世間に公表した月数では懐妊12カ月で出産。生まれた男児は光源氏にそっくりだった。この第十皇子を桐壺帝は溺愛し、光源氏に見せる。「おまえによく似ている」という言葉に光源氏は青くなるいっぽう、初めて見るわが子に胸がいっぱいになり、父という自覚が心に芽生える。
この頃光源氏は、年のころ57~58歳で有能ながら好色ぶりを隠さない内裏女房・源典侍(げんのないしのすけ)に好奇心を抱き、男女の仲となっていた。噂を聞きつけ、光源氏に対抗心を抱く頭中将はまたも恋のライバルの名乗りを上げる。ある時は、光源氏と源典侍との寝所に忍び込んで脅し、光源氏と立ち回りとなるが、光源氏はすぐに頭中将と気づき、二人は互いに袖を裂き帯を奪って戯れ合う。
藤壺は七月に中宮となる。ますます遠くなる彼女に、光源氏の想いは切なさを増すばかりだった。
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古典文学、特に和歌や物語文学には、「女房」と呼ばれる人々がしょっちゅう登場する。現在は「妻」の意味になる「女房」だが、古典文学では違う。この人たち、いったい何者なのだろうか。
女房の「房」は、冷房・暖房などの「房」。つまり部屋という意味だ。女房は主人の邸宅に「局」と呼ばれる部屋を与えられ、住み込みで働いた侍女である。ただし仕事内容は、下女があたった肉体労働とは全く違う。
国宝「源氏物語絵巻」の「東屋(一)」には、宇治十帖のヒロインである浮舟(桐壺帝の八の宮と女房の子)とその異母姉の中の君(八の宮と正妻の子)が、女房らと共に描かれている。浮舟は冊子を開いており、その紙面には絵が描かれている。いっぽう女房が開いている冊子には、字が書かれている。女房は主人格の浮舟に物語を読んで聞かせ、浮舟はその物語を絵で楽しんでいるのだ。また、中の君は長い髪を洗い終えたあと、まだ濡れているその髪を、女房が櫛で梳いている。このように女房たちは、主人の教養のお相手や家庭教師役、身だしなみの世話などを日常的にこなした。また主人宅で儀式や行事があれば、装束に身を固め華やかに奉仕した。いわば主人を彩る知的・美的スタッフである。
女房を雇う主人を「主家」という。一般の貴族、後宮の后妃たち、天皇など、どんな主家に勤めるかだ、女房は暮らしも仕事内容も違う。
女房は主人の様子をきちんと把握して、事態に応じて気の利いたケアを行った。国宝「源氏物語絵巻」の「夕霧(光源氏の子)」図に描かれた女房の姿をみると、この巻のストーリーは、光源氏の息子の夕霧が、三十歳を前にして本気の浮気に陥ってしまうというものだが、画面左には手紙に見入る夕霧の姿が描かれ、その背後から忍び寄るのは夕霧の年来の妻、雲井雁(くもいのかり:頭中将の子)である。彼女は次の瞬間には夕霧の手からその手紙を奪い取ってしまうのだ。型通りの「引目鉤鼻」ながら、その表情は緊張に満ちている。
さて女房はその画面の右下に二人。襖障子に耳を当てて、室内の夫婦のやりとりを聞こうとしている。興味本位の盗み聞きのように見えるが、おそらくそうではない。夫婦の緊迫した状況を察知し、情報を収集して、事あらばすかさず対応しようとしているのだ。つまりこれもお仕事の内。「源氏物語」本文と合わせれば、二人のうち一人は雲井雁の乳母と思しい。子供のころから育てた姫君のピンチに、はらはらしつつ耳をそばだてているのだ。
ちなみに夕霧の浮気相手の落葉の宮にも、もちろん女房がいて、こちらは女主人を炊きつけている。落葉の宮が夕霧の妻となれば自分たちの生活が安泰だからだ。落葉の宮は決して夕霧に惹かれておらず、むしろ結婚などしたくないと思っているのに。結局夕霧は、女房の手引きによって落葉の宮と結ばれる。自分たちの利益のためには、時には集団で主人を裏切りもする。女房とは主家にとって、決して侮れない存在だったといえよう。