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5- 平安人の心 「若紫:光源氏は乳母と共に若紫を連れ帰る」

山本淳子氏著作「平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む」から抜粋再編集

  光源氏は18歳の春、瘧病(わらわやみ:子供に多い病気でマラリアに近い熱病の一つ)の治療のため赴いた北山で、祖母の尼君と暮らす10歳の少女・若紫(後の紫の上)を見初める。飼っていた雀が逃げたと泣くいたいけな若紫は、光源氏が密かに激しく恋い慕う義母・藤壺女御に面影が似ていた。調べると若紫は藤壺の兄・兵部卿宮の隠し子で、藤壺の姪にあたる。光源氏は藤壺にかよう若紫を思いのままに育てたいと願い、尼君に若紫の養育を申し出るが、拒まれる。

  その頃、藤壺は病のため内裏を出て実家に戻っていた。光源氏は藤壺の女房・王命婦に懇願して忍び込み、藤壺との密通を果たした。このまま夢の中に消えたいと嘆く光源氏。しかし藤壺にとってそれは夢としても悪夢であり、もとより過酷な現実であった。果たして藤壺は懐妊し、世には桐壺帝の子と偽った月数を公表する。光源氏は夢でわが子だと察するが、藤壺は光源氏を拒否し連絡を絶つ。

  藤壺との関係が絶望的となった光源氏は、京に戻っていた若紫の邸をを尋ね、再び養育を願い出る。光源氏の意図を知らぬ祖母・尼君は断り続けるが、病にため亡くなる。若紫に母はなく、父の兵部卿宮に引き取られることになるが、そこには意地の悪い継母がいる。光源氏は兵部卿宮の来る直前に若紫宅を訪れ、乳母と共に強引に二条院に連れ帰る。数日は勤めも休み、自ら絵や字を教えて、光源氏は若紫の養育に入れ込む。こうして藤壺ゆかりの彼女を慈しむことで、藤壺への恋心をなだめるのでした。
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  「源」は、「藤原」などと同じ一つの姓である。だから「源氏」とは「源」の姓を持つ一族をいう。「藤原氏」と違うのは、その祖先が天皇であることだ。始まりは平安時代初期の嵯峨天皇(786~842年)。この天皇は政治的にも文化的にも強大な力を持ち、子沢山だった。その数や、男子だけでも22人に上る。さて、皇族は現代と同様に国家から支給を受けて生活していた。22人の皇子がさらに子孫を増やし、さらにそのまた子孫へと下ってゆけば、皇族費用は文字通り鼠算式に増えて、国の財政を逼迫させる。それを避けるため、天皇は皇子を三種類に分けた。一つは天皇を継ぐ東宮(皇太子)、もう一つは控えの皇太子要員といえる親王。そして最後が源氏である。

  こうして「源」の姓を賜った者たちは、天皇の血をひきながら皇族とは切り離されて臣下に降り、他の氏族の者と同様に自ら生計を立てた。血の「源」流は天皇家。文字からしてそれを示す誇り高い姓ではあるが、逆に言えば天皇家の血をひきながら皇位継承の道を閉ざされた氏族だ。

  嵯峨天皇などそれぞれの源氏の始祖の帝は、どのような基準で皇族に残る皇子と源氏となる皇子たちを分けたのか。それは母の出自であった。母の家柄が低ければ、皇族に残さず源氏とする。ここにまた「血の論理」がある。一世源氏とは、父帝の至高の血という優越性と、帝位には不相応な母の血という劣等性とを、共に受け継ぐ者だった。自らの血を自負すればいいのか、卑下すればいいのか。その葛藤は想像に余りある。光源氏は、桐壺帝の十人の皇子でただ一人臣籍に降ろされた。「源氏物語」というタイトルは、主人公が身分社会の敗者であることを示していたのだ。
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