無理に検事総長に為りたくは無かったのかも知れない、人当の柔らかい人だそうであるから。ところが皮肉にもそこを気に入った内閣の横紙破に付き合わせられて、林真琴さんには合わせる顔が無くなり、野党や国民からも白い目で見られるようになってしまい、つつかれて大騒ぎの蜂の巣の真ん中に居る事に、嫌気が差したのでは無かろうか。そこで自ら文春にリークしたのかも知れない。そう考えなければ、検事長の遣る事として、あまりに軽率である。併しそうであったとしても軽率である。立ち小便や速度違反などの、もっと軽い犯罪にすべきであった。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。野党は今宵立てた策に従って、明日には懲戒免職を求める事であろう。
シンガポールで活動中のスポットは不気味である。アイボ等のように、何でも良いから首と頭を付けて置けば良いのに・・・・。
ロボットの犬は似而非犬である。似而非生き物である。似て非なるものと知ってはいても、首無しの生き物が動き回るのを見るのは、もの恐ろしいものである。
外国人がスポットを見て何とも思わないのは、日本人に比べてデリカシーに欠ける処があるのか、残忍であるからか。
嘗て農家では、自家用のものは鳥(鶏だけではない)でも兎でも、家で処理して居た。私などは鮟鱇の吊るし切りを見た記憶が朧に有る位であるが、刃物を使う場合があっても何でも、全て絞めると称していた様に思う。
私の母の、亡き母は気丈であった。孫には優しかったが、娘である母には厳しい事も言って居た。稀に不機嫌そうにしていると、近寄りがたい感じがあった。
ある日納屋で、鶏の下拵えをして居たらしい。胴体は袋に入れて鉈で、覗いた首を落としたらしい。稍あって、もう良かろうと抑えていた手を緩めると、鶏は袋から飛び出て暴れた。祖母は一目散に母屋へと、裸足で駆け戻ったという。