「易」と映画と「名文鑑賞」

タイトルの通りです。

お祝いの言葉 「祖国とは国語」

2015年11月06日 03時10分14秒 | 日記
お祝いの言葉
この文章、日本語をキチンと学んでいないと少しく読み辛(づら)いかと思います。まずは、その点をお詫び申し上げます。

二次会のサプライズ企画なので書けと、お前の弟からのメールでしたので、止(や)むを得ず作文しています。

昔から子や弟子(でし)と言えば不肖(ふしょう)な存在と相場はきまっています。
お前も自分では自分の事をどのように評価しているかは知る由(よし)もありませんが、
私にとってお前は不肖(ふしょう)でしかありません。
それでも、その身体の頑健なこと及び英語の能力については、親を遥かに凌駕(りょうが)していることは明白です。
一つでも二つでも親を超えてくれたことについては、心から褒めてやりたいと思います。

最近、突然眠っていたフェイスブックアカウントに駄文(だぶん)をほぼ毎朝アップロードしています。
これは、お前とお前の弟に遺(のこ)す長い長い「最後の言葉」として綴(つづ)っています。
自分は親として「国語」又は「言葉」を教えてやれなかったことが、甚(はなは)だ心残りであります。
齢(よわい)六十に差し掛かろうとする今、せめて自分の言葉を子らに残しておこうと決心して朝の至福(しふく)の時間を使っています。
職業柄(しょくぎょうがら)多忙を極(きわ)める季節ですので、断続的にはなるでしょうが、なんとか続けられればと思っています。
これにより、少しでもお前とお前の弟が「言葉」を大切にして、「言葉」を磨(みが)き、
人様(ひとさま)に対して綺麗な日本語で相対(あいたい)すことができますようにと願っています。
母語(ぼご)である日本語が洗練されないならば、況(いわん)や英語をや、という事です。
「祖国とは国語」です。

私たち夫婦は、今を去ること三十四年前、故郷の富山を捨て、長男と跡(あと)取り娘の長女であるにも拘(かかわ)らず、
お互いの両親を捨てて名古屋に出稼(でかせ)ぎに来ました。
私たち夫婦が名古屋へきて三十四年後、お前も同じくアメリカへ行くこととなりました。
私は感謝の念に堪(た)えません。
安易な妥協をして帰国することなく、彼(か)の地にて妻の力を借り、
夫婦二人で大輪の花を咲かせてくれるよう衷心(ちゅうしん)より祈念(きねん)しております。


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