「完本 文語文」 P58~
兆民先生は秋水に俺を学んでいる限り俺を出られないぞ。俺はただ古人の糟粕をなめているにすぎない。何も創ってはいない。ルソーは祖述しただけで、あれはおれの独創ではないと言った。
いかにもその通りである。孔夫子は「述べて作らず」と言った。秋水はいよいよ兆民先生を尊敬した。
兆民が漢文から学んだことは削ることである。削りに削ってこれ以上削ったら分からなくなる寸前でふみとどまることである。我ながら名文句だ、削りたくないと惜しむのはケチである。言うまでもないが私は漢字だくさんの昔に返れと言っているのではない。どうしたらよかろうか。(『文藝春秋』96・1~3)
(引用終わり)
「論語」 金谷治訳注 P127
巻第四 述而第七
子の曰わく、述べて作らず、信じて古えを好む。
窃(ひそ)かに我が老彭(ろうほう)に比す。
先生がいわれた、
「〔古いことにもとづいて〕述べて創作はせず、むかしのことを信じて愛好する。
〔そうした自分を〕こっそりわが老彭〔の態度〕にも比べている。
(引用終わり)
今年の音楽での収穫は、辻井さんとコールドプレイだった。
本では、三浦しをん。
テレビで日本アカデミー賞の授賞式を観ていて、衝動的に、まずは「舟を編む」。
以後「まほろ駅前多田便利軒」「風が強く吹いている」「まほろ 2」「まほろ 3」「神去り村」他数冊を乱読。
ついには、山本夏彦翁もびっくりするくらいのエッセイ群をまたもや○○ゾンで大人買い。
もちろん全部中古。
しかも、そのエッセイ群は3冊くらいを並行読み。
最初に読んだのが「舟」だったので、後のものは冗長に思えた。そのくらい「舟」は削りに削ってあったような気がする。
○○ゾンに投稿したレビューを転載。
先に「舟を編む」を読んでしまって、これは久方ぶりにいい作者を発見とばかりに購入。
舟の方が圧倒的に削り落とした文章だったので、こちら(まほろの方)の多少なりともゆったりとした感じの文章(悪く言えば冗長)が心地よかった。
今まさに読み終わらんとする前に(後20ページほど)感想文を書いているのですが、次(続編)を買ったついでの勢いなのでご勘弁を。
子供が犯罪に巻き込まれる話、ネグレクト、人工授精の話、尊属殺人、産院での赤ちゃん取り違えなど、
どれ一つとっても暗ぁーい話になりそうなところをこの作者は上手に料理して落ち着いたものに仕上げる。
つまり後味が悪くないどころか不思議に爽やかなのです。
伏線が多数張り巡らされているようなのですが、どのあたりで回収されるのかも興味深く読み進められる要因ではあります。
明らかにされていない主人公たちの過去を知りたくて(作者の思うつぼ)、続編があと二冊あったので続けて買いました。
ついでに大評判だったらしい箱根駅伝物も。
久しぶりに一人の作者を追っかける気になりました。貧乏なので古本で。ごめんなさい!
(転載終わり)
箱根物は妻用でした。
何せ、毎年恒例の1/2,3は正に女正月状態。
つられて私もそれなりにコースを覚えてしまって呆れる始末。
というわけで、妻も大満足な箱根物小説だったのでした。
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