私のオリジナル曲に「スケーター・ワルツ」という曲があります。
この曲は数十年前の17歳の時に、いずみたく氏の事務所に売り込みに行った時の曲です。
その事務所はフォンテーヌ・ビルと言う名前の5階建てのビルで、六本木にありました。
地下鉄の六本木駅を出ると、近くにはNETテレビ(今のテレビ朝日)や有名な六本木の交差点があって、ピンク色の「アマンド」という名前のレストランなどもあり、そこから東京タワーに向かって真直ぐな道が長く続いていました。
その時に面白いと思った事があります。
売り込みの為に持って行った10曲の内、3曲を気に入ってもらったのですが、残りの7曲に対しては批判めいた事を一言も言われなかった事です。
「これがプロの世界なのか」・・・と非常に感心した事を覚えています。
つまり、一般の人たちだったら「つまらない部分が気になって仕方がない」という感じなのですが、プロの人たちというのは、「良い部分」に対して非常に敏感だという事です。
「つまらない部分」の事は、言葉に出しては言わないのです。
ですから私も、他人の作品を鑑賞する時には、多少不満はあっても長所だけは理解出来る人間になりたいものだと思ったものです。
実際には中々難しい事ではありますが・・・
・
・
今から15年ほど前の事ですが、コンピューター・ミュージックの個人レッスンを受けた事があります。
この時の先生は私よりもずっと若い先生でしたけれど、非常に優秀な先生で、富田勲氏や有名なミュージシャンたちのアシスタントをやったり、YAMAHAのシンセサイザー「DX7」の音色を作った開発スタッフでもありました。
ですから、普通の人とは話す内容が違いました。
ある時、こんな話をしてくれました。
先生がアメリカに行った時に、JAZZのピアニストとして有名なハービー・ハンコックのレコーディングに立ち会った事があったらしいのです。
この時、先生が新しく作ったシンセサイザーの音色をハンコックに聞かせたところ、ハンコックが非常に気に入って、その音色でレコーディングをしたそうです。
先生が言うには、「この音色は、日本人のミュージシャンだったら絶対に使わない音色だろう」
「日本のミュージシャンだったら、もっと派手で目立つ音色を好んで使い、このような地味な音色は絶対に使わないだろう」と言うのです。
またこんな話もしてくれました。
日本のミュージシャンというのは、「もうこんな音色は使えない」と言って、古くなった機材を簡単に捨ててしまうけれども、外国のミュージシャンというのは、その音色が生きる場所でちゃ~んと使っている、と言うのです。
・
将棋の世界の話ですが・・・
ある時、名人が若手の棋士の対局を観戦している時に、そのセンスの良さを見抜いて、「この棋士は近い将来名人である自分に挑戦して来るだろう」と言ったそうです。
この若手棋士は、まだ十代で四段だったと思いますが、かなり強い事で評判でした。
しかし「近い将来、名人になる」と断言出来る人などはいなかったのではないかと思います。
「名人」だからこそ、「将来の名人」を発見出来たのだと思います。
実際にこの若手棋士は、数年後には名人戦の挑戦者となり、予言通り名人のタイトルを奪い取ってしまったのです。
こういう事もありますから、他人に対する批判などは、あまり言いたくないのです。
他人の欠点というものは才能がない人にでも分かるものですが、長所となると自分に才能がなければ理解出来ないものだと思うからです。
「批判精神」というのは非常に大切な事で「鋭さ」は必要ですが、言葉に出してまで批判を言う必要のない事も多いと思います。
言葉に出してしまうのは、「長所」を理解出来ないからではないかと思ってしまうのです。
もちろん例外はありますが・・・
私としては、なるべく他人の欠点は心の中で徹底的に批判して言葉には出さず、長所は素直に言葉に出して話したいと思っています。
しかし、これは言葉で言うのは簡単そうですが、実行するのは中々難しい事でもあります。
どうしても批判を言いたくなる時があるものです。
以前こんな事がありました。
・
・
随分前の話になりますが、ピアノの仕事をしていた女友だちから電話があって、
「今ピアノの事で悩んでいるから、アドバイスをして欲しい」、
「気が付いた事があったら、正直に言って欲しい」と言われたのです。
そこで私は、わざわざバンド練習をするという新宿のスタジオまで出かけて行って、彼女の演奏を聴きました。
そして正直に感想を伝えました。
ところが、その数日後になって彼女に貸してあった数冊の本が送り返されて来たのです。
手紙も添えずに・・・
その時「何か変だな?」とは感じましたけれども、その内に忘れてしまいました。
それから一年くらい経ったある日、彼女に何となく電話をしたのですが・・・
驚いた事に、彼女が言うには、
「今まで、あなたとは絶交していたのよ」と言うのです。
「えっ、絶交?」、
「一体それはどうしてなの?」と聞くと、
「だって、あなたは友だちが悩んでいる時に、お世辞の一つも言えなかったじゃないの」、
「友だちだったら、悩んでいる時くらいはお世辞の一つも言うものよ」と言うのです。
彼女は「アドバイス」や「批判」を聞きたかったのではなく、自信を取り戻す為に「お世辞」を言って欲しかっただけなのです。
それに気が付かなかった私にも問題はあるかも知れませんが、私は絶対にお世辞は言わない事にしていたのです。
特に音楽や創作活動などをしている人に対しては・・・
この時も「正直に言って欲しい」と言うから、安心して正直に言っただけなのですが・・・
私は、良いと思った時には正直に「良い」と言いますけれども、良いと思わない時には、お世辞が必要な時にでも黙っています。
何故かと言いますと、一度でもお世辞を言ってしまうと、本当に「良い」と褒めた時に「多分またお世辞を言ったのだろう」と思われてしまうからです。
これは非常につまらないお付き合いになってしまいます。
「良い」と褒めた時に、相手の喜ぶ顔が見られないという事くらいつまらない事はありません。
私が付き合っている人たちというのは、私の作品に対してはっきりと「この曲は嫌いです」と言います。
現につい最近も二人の友だちに、「私はこういう音楽は嫌いです」とはっきり言われてしまいました。
私の「ポチ&タマ」と「白鳥の湖」をアレンジしたものですが・・・
でもそういう友だちというのは、気に入ってくれた時には正直に「好きです」とか「感動した」とか言ってくれる訳です。
この時には私も嬉しくて、相手と心が一つになる瞬間を味わう事が出来る訳です。
長い目で見たら、こういうお付き合いの方が絶対に面白いのです。
・
・
私は「お世辞を好むタイプ」の人を何人か知っています。
その中には、ごく親しい人もいますが・・・
偶然かも知れませんが、この人たちには共通した心理があるように思いました。
まず「自分は非常に傷つきやすい人間である」と本人が思い込んでいる事。
しかしこのタイプの人というのは、他人からの攻撃に対しては非常に敏感ですが、意外と他人への攻撃は平気でやっています。
自分は非常に敏感な人間で傷付きやすいけれども、他人は鈍感だから・・・という考えがあるような気がしました。
また、このタイプの人は「褒めて欲しい」とか「お世辞でも良いから言って欲しい」・・・などと思っている割には、あまり他人の長所を素直に褒めません。
それから、このタイプの人に本気で「良いね!」と褒めても、一つも嬉しそうな顔をしない事です。
これは不思議な事ですが事実です。
まあ確かに、どんな人であっても弱気になる事があって、お世辞の一つも言って欲しい事はあるでしょう。
でも私はお世辞を求める相手には、はっきりと言います。
「私は絶対にお世辞は言わない人間だから、お世辞を言って欲しい時には、私ではなく他の人から言ってもらいなさい」・・・とね。
・
・
たまに若い人から「詩を書いたから、読んで批判して欲しい」と頼まれる事があるのですが、これが苦手なのです。
若い人の作品を鑑賞する事は好きなのですが、批判をするのが嫌なのです。
何故かと言いますと、経験的に「若い時には、褒められる事で進歩する」と思っているからです。
歳を取れば、自分の能力はある程度自分で分かっていますから、何を言われても平気になってしまうものですが、若い時には他人から沢山褒められる経験をして自信を付ける事で才能が伸びると思います。
私としては、「良い」と思ったものは正直に褒めますけれども、「良い」と思わないものを褒める事が出来ないのです。
私には、沢山の才能を発掘出来るほどの、大きな才能が無いのです。
・
十代の頃に通っていた作曲教室の先生によく言われたものです。
「今のうちから、どんどん自分を売り込んだ方が良い」
「例え認められなくても、がっかりしないで、すぐにまた別の所に売り込んで、自分の才能を理解してくれる人を探すことだ」
「あの有名な石原裕次郎だって、東宝の試験に落ちたから日活で成功したのだから・・・」
東宝はその頃「青春さわやか路線」でしたから、落ちても仕方がない訳です。
という訳で・・・
他人の長所を素直に認める事が出来るようになる為には、自分自身に才能がなければならないと思いますから、これは非常に大切な事ではありますが、実際には、中々実行する事は難しい・・・というお話でした。
お退屈さま・・・
この曲は数十年前の17歳の時に、いずみたく氏の事務所に売り込みに行った時の曲です。
その事務所はフォンテーヌ・ビルと言う名前の5階建てのビルで、六本木にありました。
地下鉄の六本木駅を出ると、近くにはNETテレビ(今のテレビ朝日)や有名な六本木の交差点があって、ピンク色の「アマンド」という名前のレストランなどもあり、そこから東京タワーに向かって真直ぐな道が長く続いていました。
その時に面白いと思った事があります。
売り込みの為に持って行った10曲の内、3曲を気に入ってもらったのですが、残りの7曲に対しては批判めいた事を一言も言われなかった事です。
「これがプロの世界なのか」・・・と非常に感心した事を覚えています。
つまり、一般の人たちだったら「つまらない部分が気になって仕方がない」という感じなのですが、プロの人たちというのは、「良い部分」に対して非常に敏感だという事です。
「つまらない部分」の事は、言葉に出しては言わないのです。
ですから私も、他人の作品を鑑賞する時には、多少不満はあっても長所だけは理解出来る人間になりたいものだと思ったものです。
実際には中々難しい事ではありますが・・・
・
・
今から15年ほど前の事ですが、コンピューター・ミュージックの個人レッスンを受けた事があります。
この時の先生は私よりもずっと若い先生でしたけれど、非常に優秀な先生で、富田勲氏や有名なミュージシャンたちのアシスタントをやったり、YAMAHAのシンセサイザー「DX7」の音色を作った開発スタッフでもありました。
ですから、普通の人とは話す内容が違いました。
ある時、こんな話をしてくれました。
先生がアメリカに行った時に、JAZZのピアニストとして有名なハービー・ハンコックのレコーディングに立ち会った事があったらしいのです。
この時、先生が新しく作ったシンセサイザーの音色をハンコックに聞かせたところ、ハンコックが非常に気に入って、その音色でレコーディングをしたそうです。
先生が言うには、「この音色は、日本人のミュージシャンだったら絶対に使わない音色だろう」
「日本のミュージシャンだったら、もっと派手で目立つ音色を好んで使い、このような地味な音色は絶対に使わないだろう」と言うのです。
またこんな話もしてくれました。
日本のミュージシャンというのは、「もうこんな音色は使えない」と言って、古くなった機材を簡単に捨ててしまうけれども、外国のミュージシャンというのは、その音色が生きる場所でちゃ~んと使っている、と言うのです。
・
将棋の世界の話ですが・・・
ある時、名人が若手の棋士の対局を観戦している時に、そのセンスの良さを見抜いて、「この棋士は近い将来名人である自分に挑戦して来るだろう」と言ったそうです。
この若手棋士は、まだ十代で四段だったと思いますが、かなり強い事で評判でした。
しかし「近い将来、名人になる」と断言出来る人などはいなかったのではないかと思います。
「名人」だからこそ、「将来の名人」を発見出来たのだと思います。
実際にこの若手棋士は、数年後には名人戦の挑戦者となり、予言通り名人のタイトルを奪い取ってしまったのです。
こういう事もありますから、他人に対する批判などは、あまり言いたくないのです。
他人の欠点というものは才能がない人にでも分かるものですが、長所となると自分に才能がなければ理解出来ないものだと思うからです。
「批判精神」というのは非常に大切な事で「鋭さ」は必要ですが、言葉に出してまで批判を言う必要のない事も多いと思います。
言葉に出してしまうのは、「長所」を理解出来ないからではないかと思ってしまうのです。
もちろん例外はありますが・・・
私としては、なるべく他人の欠点は心の中で徹底的に批判して言葉には出さず、長所は素直に言葉に出して話したいと思っています。
しかし、これは言葉で言うのは簡単そうですが、実行するのは中々難しい事でもあります。
どうしても批判を言いたくなる時があるものです。
以前こんな事がありました。
・
・
随分前の話になりますが、ピアノの仕事をしていた女友だちから電話があって、
「今ピアノの事で悩んでいるから、アドバイスをして欲しい」、
「気が付いた事があったら、正直に言って欲しい」と言われたのです。
そこで私は、わざわざバンド練習をするという新宿のスタジオまで出かけて行って、彼女の演奏を聴きました。
そして正直に感想を伝えました。
ところが、その数日後になって彼女に貸してあった数冊の本が送り返されて来たのです。
手紙も添えずに・・・
その時「何か変だな?」とは感じましたけれども、その内に忘れてしまいました。
それから一年くらい経ったある日、彼女に何となく電話をしたのですが・・・
驚いた事に、彼女が言うには、
「今まで、あなたとは絶交していたのよ」と言うのです。
「えっ、絶交?」、
「一体それはどうしてなの?」と聞くと、
「だって、あなたは友だちが悩んでいる時に、お世辞の一つも言えなかったじゃないの」、
「友だちだったら、悩んでいる時くらいはお世辞の一つも言うものよ」と言うのです。
彼女は「アドバイス」や「批判」を聞きたかったのではなく、自信を取り戻す為に「お世辞」を言って欲しかっただけなのです。
それに気が付かなかった私にも問題はあるかも知れませんが、私は絶対にお世辞は言わない事にしていたのです。
特に音楽や創作活動などをしている人に対しては・・・
この時も「正直に言って欲しい」と言うから、安心して正直に言っただけなのですが・・・
私は、良いと思った時には正直に「良い」と言いますけれども、良いと思わない時には、お世辞が必要な時にでも黙っています。
何故かと言いますと、一度でもお世辞を言ってしまうと、本当に「良い」と褒めた時に「多分またお世辞を言ったのだろう」と思われてしまうからです。
これは非常につまらないお付き合いになってしまいます。
「良い」と褒めた時に、相手の喜ぶ顔が見られないという事くらいつまらない事はありません。
私が付き合っている人たちというのは、私の作品に対してはっきりと「この曲は嫌いです」と言います。
現につい最近も二人の友だちに、「私はこういう音楽は嫌いです」とはっきり言われてしまいました。
私の「ポチ&タマ」と「白鳥の湖」をアレンジしたものですが・・・
でもそういう友だちというのは、気に入ってくれた時には正直に「好きです」とか「感動した」とか言ってくれる訳です。
この時には私も嬉しくて、相手と心が一つになる瞬間を味わう事が出来る訳です。
長い目で見たら、こういうお付き合いの方が絶対に面白いのです。
・
・
私は「お世辞を好むタイプ」の人を何人か知っています。
その中には、ごく親しい人もいますが・・・
偶然かも知れませんが、この人たちには共通した心理があるように思いました。
まず「自分は非常に傷つきやすい人間である」と本人が思い込んでいる事。
しかしこのタイプの人というのは、他人からの攻撃に対しては非常に敏感ですが、意外と他人への攻撃は平気でやっています。
自分は非常に敏感な人間で傷付きやすいけれども、他人は鈍感だから・・・という考えがあるような気がしました。
また、このタイプの人は「褒めて欲しい」とか「お世辞でも良いから言って欲しい」・・・などと思っている割には、あまり他人の長所を素直に褒めません。
それから、このタイプの人に本気で「良いね!」と褒めても、一つも嬉しそうな顔をしない事です。
これは不思議な事ですが事実です。
まあ確かに、どんな人であっても弱気になる事があって、お世辞の一つも言って欲しい事はあるでしょう。
でも私はお世辞を求める相手には、はっきりと言います。
「私は絶対にお世辞は言わない人間だから、お世辞を言って欲しい時には、私ではなく他の人から言ってもらいなさい」・・・とね。
・
・
たまに若い人から「詩を書いたから、読んで批判して欲しい」と頼まれる事があるのですが、これが苦手なのです。
若い人の作品を鑑賞する事は好きなのですが、批判をするのが嫌なのです。
何故かと言いますと、経験的に「若い時には、褒められる事で進歩する」と思っているからです。
歳を取れば、自分の能力はある程度自分で分かっていますから、何を言われても平気になってしまうものですが、若い時には他人から沢山褒められる経験をして自信を付ける事で才能が伸びると思います。
私としては、「良い」と思ったものは正直に褒めますけれども、「良い」と思わないものを褒める事が出来ないのです。
私には、沢山の才能を発掘出来るほどの、大きな才能が無いのです。
・
十代の頃に通っていた作曲教室の先生によく言われたものです。
「今のうちから、どんどん自分を売り込んだ方が良い」
「例え認められなくても、がっかりしないで、すぐにまた別の所に売り込んで、自分の才能を理解してくれる人を探すことだ」
「あの有名な石原裕次郎だって、東宝の試験に落ちたから日活で成功したのだから・・・」
東宝はその頃「青春さわやか路線」でしたから、落ちても仕方がない訳です。
という訳で・・・
他人の長所を素直に認める事が出来るようになる為には、自分自身に才能がなければならないと思いますから、これは非常に大切な事ではありますが、実際には、中々実行する事は難しい・・・というお話でした。
お退屈さま・・・
今回のエッセイ、とっても爽快!
そそ、そうなのよねっ!って頷けます。
しかし、人ってつくづく難しいなとも(苦笑)
思います。
会話とは伝えたい事をどうやって相手側に
意図しているように誤解なく伝えられるか?
これに尽きるのかな?とさえ感じてます。
人の傾向はさまざまですが、その中で
感性が似ている方と自然と集まりあい
ストレスなき 会話を楽しみたいなって
思ってます。
さっきから何度も気に入らない所を修正していたところだったのですよ。
まあ良いか! (^ー^)ノ