日々の泡

こころに浮かんでは消え、消えては浮かぶ
日常のありふれた風景をスケッチ

今日の学び

2022-02-07 16:33:25 | 言葉

ネコ団子

なんかこんなブランドマークなかったっけ?

         

 

今日は午前中、「身体意識」と「身体感覚」の違いについて

復習?しました(笑)

今朝の新聞にドドン、と「発見!武蔵の極意」🔷五輪書は物理学の天才が書いた!

なんて書籍の宣伝に目がとまって。

あ、この著者の本

わたし持ってるわ(TAPの生徒さんにもらった)!と読み返してみることに。

            

 

「身体意識」と「身体感覚」という言葉の意味が、明確に別物、と書いてあります。

(混同されてるケースがすごく多いと感じます。)

タップを教え始めた頃、自らの「身体意識」をなんとか言葉にして伝えたいともがいていたことを思い出します。

(・・そんなこと、できるわけないのに・・・)

身体ほど、個人個人で違うものはありません。そもそも相手に、身体意識があるかすらわからないのに。

もっと複雑なのは、「身体意識」が潜在意識下にある空間的構造だ、と言っているのです。

ダンスを踊っている人同士の会話では、「センター」という用語が問題なく共有されると思うのですが、体をあまり使うことのない人たちが自分の体をどのように感じているか。

想像することはとても難しいです。

 

さて、午後の部は、最近気になっていた音楽でいう「EP」

今頃、レコードが復活したの??って

結構、長い間謎のままでした。ちゃんと調べました。

EP EPなのにCD?って。

・・・ふうん。そういうことなのね。覚えた♪

 

 


学びは楽しい♪

2018-03-06 12:20:44 | 言葉
今、ん〜10年ぶりに合唱の勉強をしています。勉強、ってことでもないんだけど・・・。

私は小学生のとき、ずーっと合唱団で歌っていて、そして今年、その古巣の合唱団が50周年と言うタイミングと、去年その合唱団(他の合唱団と合同。代々木のオリンピックセンターで合宿をした!)でヨーロッパ演奏旅行をした仲の良かった先輩と奇跡の再会を果たしたことで・・・一気に、その50周年記念公演のOB合唱参加、という流れに。

歌ったことのないレパートリーばかり、だが・・・(汗)
初見では、ヤバイヨ、ヤバイヨ。だったけど、譜読みもだいぶ慣れてきた!それに今は、音源が豊富なので、本当に助かる!

不思議なことに、あの頃やってたハモリの感覚とまた、全然違うーどこがどう違うのかわからないけどー感覚的に何かが違うんだよね。。。。
お芝居の勉強をしたくて上京した頃、発声や、音程を取ることではだいぶ役に立ったけど、研究所では、役として歌うことを求められたからね「もっと地声使って」というのはすごく言われた。音大によっては、合唱はもう終わりよ、という言い方をする先生までがいらっしゃる、という話を聞いた。でも、どっちかだけ、なんて・・・ものすごく勿体無いよね!!両方使い分けられた方がいいに決まってるもん。こっちしかできないからこっち、なんて・・。今は、こっち使った方がいいな、って選択肢があった方が。引き出しは多いに限るんだよ、特に興味のあることに関しては。(広く、浅くじゃダメだけど。それなりに使えるまでに高めねば)それが楽しく生きるコツじゃね?って思う。

2016-03-11 16:04:55 | 言葉
ワタシ、「さようなら」っていう詩の、

よるになったらほしをみる
ひるはいろんなひととはなしをする
そしてきっといちばんすきなものをみつける
みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる


ここのところがすごくすきなんだ。
「ああ、ほんとにそうだな。」って。

さようなら

2016-03-09 10:14:55 | 言葉
谷川俊太郎作

なんて透き通っていて美しい詩なんだろう。
「星の王子様」か「宮沢賢治」にも通じる世界。

平田オリザ原案の「さようなら」という映画を見た。
ずいぶん「演劇的」な作品だ、と思ったら、舞台で上演していた作品らしい。(こちらは、どんなだったのかな?)
で、ワタシふと気づいてしまった。自分は、なにをもって「演劇的である。」とか感じるのだろう、と。まったく感覚的でしかないのに。ベルイマンの「秋のソナタ」とか。。。(これは、宿題!w)

この映画のすべては、谷川俊太郎作「さようなら」という詩に凝縮されているのではないか?
すごい、すごすぎる。
詩を読む機会は、正直あまり、ない。
あの、選び抜かれた言葉たちは、こんなにも深い広い世界を内包していたのだろうか。

「観察映画」を見るとわかりやすいのだけれど、芸術作品というものは、作り手と、受け手があってはじめて完成するのだ、ということがよくわかる。個人の想像力とか、共感力がとても必要とされているのだ。

アンドロイドが朗読した「さようなら」。一晩たっても、ワタシの心を鷲掴みにしている(笑)

hobonichiより

2015-05-27 11:10:22 | 言葉
朝から、発言がネットでニュースになっていた糸井さん。(コピーライター引退、云々・・・)
今日の、「今日のダーリン」は、最近ワタシが考えてることにピッタンコ。
ワタシも、人生って「そんなものなんじゃな~い。」って。ー全文ではありませんが、引用させてもらいました。

人の一生というものも、
 銀のスプーンをくわえて生まれた幸せな誕生から、
 最後に死ぬときに「生まれてくるんじゃなかった」と、
 後悔しながら彼の世に逝く人もあるだろうし。
 不幸のどん底のようなところで産声をあげて、
 なんとか生をまっとうして、
 「たのしかったよ」と息をひきとる人もいるだろう。
 
 「終わりよければすべてよし」という考え方は、
 それまでの長い長い道のりが、
 ずっと苦しかったり悲しかったりしてもですかと、
 問いかけてみたいようにも思うが、
 ほんとうの最期になる短い時間だけでも、
 微笑んでいられるようなことがあったら、
 きっとそれはよかったということなのだろう。
 
・なにを言ったからよい、とか、
 なにができるからよい、なにをしたからよい、
 というようなこととなんの関係もなく、
 「ただいること」がよいとされることを、
 ほんとうは誰もが望んでいる。
 be動詞の、beの状態で肯定されること。
 それが、誰よりもじぶん自身からよしとされること。

どうですか?!
今日はお声をかけていただいて、午後から久しぶりに「conversation cafe」へ出かけてみようかなと思っています。今日のテーマはなんだろう?いろんな考えが聞けて面白いです。暑くなりそうだけど、チャリで行こうかな。週明けからあまり身体を動かしてないから。夜のレッスンの準備をかねて。