日々の泡

こころに浮かんでは消え、消えては浮かぶ
日常のありふれた風景をスケッチ

さよなら2014

2014-12-31 09:56:55 | 日々
あと14時間程で、新しい年が始まりますね・・・
2014年は、皆様にとって、どんな年だったでしょうか。

ワタシは「地球も人も病んでいる」そんなネガティブな印象です。
今朝の新聞で、「東電の、瓦礫飛散防止剤10倍に希釈して使用」というとんでもない記事を読んで、1年の最後の日の朝だというのに、やりきれない怒りにつかれてしまいました。
・・・そう、自分の心に沸き上がる「怒り」との付き合い方に苦悩した年でもありました。
どうしてそんなことがまかりとおるんだろう?という怒り。大人の世界は、不純で複雑です(笑)

よいこともありました。アルゼンチンのSSWフロレンシア・ルイスの音楽の世界とか、遂に!高木正勝さんの音楽に触れた、とか。映画も。何本かの印象深い作品に出会えた。東京強行映画鑑賞会も、終わってみると、すごく楽しかった。9月から、新しいタップのクラスもつくり、プライベート、WOMAN TAP、レギュラーとそれぞれに中身のまったく違う実験的クラスが揃った。ここから、大切に積み上げていこう。(まだまだ、WOMAN TAP、レギュラークラス生徒さん募集中!!)

いままでの人生を振り返って、なんといっても思い出に残ってる、というか自分が一番成長できた年、というのは断然高校を卒業して上京した18歳の年なのです。2015年はナント、星の巡り合わせで何十年か振りで、同じような巡り合わせになるとか。所謂「試練の年?」(笑)ーまっただなかにいるときは、未熟すぎる自分に何度ヘコみ涙を流したことかーでも、あの時の代え難い「生きてる実感」とか、その後の自分を支える「軸」になってくれたことを思うとき、不安よりも、期待の方がちょっぴり大きいかも。

年明け早々、の楽しみ。こんなことも、めったにないかと

では、よい年越しを。2015年、来年もよろしくお願いいたしますです♫

炭坑のカナリア

2014-12-27 12:49:11 | アート
2014の映画のまとめ
記事

「炭坑のカナリア」監督たち・・・そう、誰よりも早く、敏感に、この危険な空気に反応して当然だよね。
私的に、圧倒的に印象に残った作品が、冒頭で紹介されていた、大林宣彦監督の「野のなななのか」だ。
「なんでこんなことが?!」っていうくらい、ものすごい偶然で観ることのできた作品だった。(仙台で観た)
すべてにおいて、驚きに満ちた作品だった。監督の執念のようなエネルギーに圧倒される。この作品がワタシに与えた影響って、のちのち計り知れなく現れてくるような気がする。
石井監督の「ぼくたちの家族」蔦監督の「祖谷物語」も印象深い。どの作品も、「アナ雪」(結局見てない)ような観客動員はないだろう(笑)でも、ワタシはこういう作品を観るためにしか映画館に足を運ぶことができない。

来年は、戦後70年ということもあり、その関連の作品も出てくると思う。絶対に観なければいけないのは、塚本晋也監督の「野火」。ー「戦争を美化するものを信じるなかれ」の言葉のままに、塚本監督の、ありのままの現実をつきつけられる表現に、どんなにつらくても、しっかりこの目を開いて鑑賞しようと思う。商業主義では決してたどりつけない場所。それは、ワタシが理想としている場所にきっと近いにちがいないと思うし。
ちょっと違う意味で「滝を観にいく」(1/25にフォーラムでやるよ)も楽しみ。時代の変化にならって、映画に求めるもの、とか、お金をかけなくても良品がつくれる、ということも広がっていったらいいと思う。観客は、有名タレントが出るわかりやす~い作品を観に行くのもいいし、地味でも深い作品の方が好き、という人もいるだろうし。。「水の声をきく」(山本政志監督)という作品は、たしか、映画を学ぶ学生のワークショップから生まれたと聞いた。5日間くらいで仕上げたらしい。映画界をひっぱる監督たちが、これからの人材育成のために、学生スタッフ、役者が実践的に学べる場をつくって、国際交流もしている、と。山形では(東京でも)これらの作品は、一部の映画ファンにしか届かないかもしれないが、将来的には、こういう地道な活動こそが花を咲かせる、とワタシは信じて疑わない。映画に関してなんて、山形でもっともっとやれることがあると思うのに。。。。
と、まあ、年末の忙しい合間に、休憩タイムでした。よしっ、働こう。。。


やっぱり

2014-12-22 13:29:45 | アート
氷の上の真央ちゃんって、スペシャルなんだな~、ってつくづく思った。
その人が「いるべき場所」だから?
だって、観ているだけで、心があったかくなるし、心が清められる気がするもの。
普段から可愛いと思うけど、それでも氷のうえでのスマイルは、「特別なもの」。
表現者としての憧れだな。
競技者でなくていいから、彼女の氷のうえでの表現をずっと見続けることができたらいいな、って思う。

・・・そういう人に時々出会う。さまざまなジャンルにおいて
(ワタシはずっと表現すること、に興味があるから、目がいくのは同じく表現する人、になっちゃうのだけれど。)

今は価値観も多様になって、それぞれの好みも分散化していて、昔みたいに「みーんなが好き」っていうのは、もう出現しないんじゃないかな。(高倉健さんが亡くなったのって、象徴的だな、ってちょっと感じてた。)

だから面白いな、って思う。これからが楽しみだよ。どうなっていくんだろう、って。
ワタシ昔から、「みんながそうしてるから。」とか、「なんとなく同じ方が安心」っていう感覚がまったくなくて。
「誰がなんと言おうと」タイプ!(笑)親にも「日本一の頑固者」とか言われたけど(苦笑)

最近はもう、時代の変化が急激すぎて。。。「守り続けて大切にされるべきもの」、と「過去の遺物だと気づいてないだけ」、のものがごっちゃになっている気がする。(時代の分岐点にいるんだ、って改めて思ったりします。)
表現そのものは、時代の空気と切り離すことはありえないと思うし、個人の魅力は、変わってほしくない、と。ワタシ個人でいえば、以前は「勉強のため、観といた方が役に立つだろう」みたいな奢った考えがないとは言えなかったけど。。。今はそういうことがまったくなくなった。

地方ならみんな同じだと思うけど、都市部との「文化的な差」がすごくあった。で、バブルの頃なんかは(いまだにか。)劇場・ホールをたくさん建てて、「一流のものを地方でも観られるように」ってみんな(おもに役所関連の方たち)口を揃えてた。
「一流のもの」って、みんなが口を揃えて言えるようなことじゃないんじゃないのかな。その定義は、それぞれの人によって全然違っているに違いないし、違っていることが、素敵だったりする。ワタシはワタシが思う「一流」を求めはじめている日々が始まったように感じてる。時代の変化、自分の変化、どちらも予想がつかなくて、ワクワクする。

つかこうへいのことば・・・

2014-12-22 10:03:03 | 言葉


「弱者の最大の武器は、「誠意」「誠実さ」であろう。現代の犯罪の素因は、このたちの悪い代物を裏切られたと感じたときに芽生えるどす黒い「情念」ではあるまいか。それは人々の心に滓のように沈殿し、やがて「殺意」と名を変える。」

なんか、最近の世の中をみていると、どうしてもこの言葉が浮かんでしまう。大変な方向にすすんでいるような気がしてならない。また、災害も心配。。。。