山形に先日、劇団四季が来て公演をやったみたい。
朝ドラでも、タップが登場してるみたいなんだけど、なかなか・・
盛り上がらんのだよね、このタップダンス
楽しいのになあ〜
このミュージカルは1992年初演で、いい意味で昔のミュージカル(音楽も、煌びやかさ加減も!)
舞台にスポーツカーが登場してすごくビックリしたのを覚えてます。
振り付けが当時「斬新で」すっごく楽しかった!!ニューヨークで観ましたよ。
稽古場での踊ってる表情がすっごく楽しそう🎵
山形に先日、劇団四季が来て公演をやったみたい。
朝ドラでも、タップが登場してるみたいなんだけど、なかなか・・
盛り上がらんのだよね、このタップダンス
楽しいのになあ〜
このミュージカルは1992年初演で、いい意味で昔のミュージカル(音楽も、煌びやかさ加減も!)
舞台にスポーツカーが登場してすごくビックリしたのを覚えてます。
振り付けが当時「斬新で」すっごく楽しかった!!ニューヨークで観ましたよ。
稽古場での踊ってる表情がすっごく楽しそう🎵
昨日の夜は、タップのレッスンでした。
わたしの本業は、タップを教える事なので、(このブログでほとんど触れることはありませんでしたが)細々ながら、レッスンは行っていました(笑)
コロナが流行し始めた頃は、社会全体がそうであったように、
そのことに、どう対応していいのか、混乱が続きました・・・・
そして、3年ですものね・・・。
仕事柄、一番感染に注意しなければならず、途中、感染者が減少した時期には「レッスンに復帰できるかも!」と本人も喜んでいたら・・・・また増加に転じて諦めざる終えなかったことも。。
その、最後まで復帰できなかった生徒さんが、レッスンに復帰できることになり
3年ぶりに、懐かしい顔を見ることが!!
人生に、こんなことって起こるんですね。3年、という時間をどのように捉えるべきなのか・・・・
「久しぶりのレッスンの感想は?」って聞いたら
「思ってたより身体が動いて、気持ちがいい!」と。
・・・筋肉痛は、忘れた頃にやってくるかもよ?!
またメンバーが揃って踊れる幸せをいっぱい感じて、いつもに増して笑いが絶えませんでした!
コロナがこのまま落ち着いてくれるようなら、新しいクラスを増やそうと準備しています。
地方に住んでいて生の演劇に触れられる、ということで
労演(のちに山形演劇鑑賞会)には大変お世話になりました。
演劇を観ている時は、その世界に没頭することができ、
自分の知らない人たち、違う時代、全く違った世界を生きているかのような人たちを見るのが楽しかった。日本人なのに、外国の演劇をやったりね・・・・
非日常を味わうことが楽しかったんだろうな・・・
そんな中で、五月舎という集団(その時は五月舎という名前も、どんな団体なのかも、もちろん本田さんのことも、全く知らなかった。)が上演した作品は、一気に私と舞台との距離を縮めたのだった。
初めて感じた衝撃!
・・・あれは、私たちのことを描いているんだ。いろんな葛藤を抱え悩み苦しんでいる主人公の姿・・・あの気持ちは、自分と同じだ。思いはあるのに、自分の何もできない非力さ、人生への迷い。
初めて演劇が、日常を暮らす、遠いどこかの国の話ではなく、普通に暮らす私たちを、私たちの苦しみを描くものなんだ、と感じて、
主人公に恋をした!
何も、、、手につかなくなってしまった。。。
主人公は、宮沢賢治。演じたのは、高橋長英さん。
その作品は、井上ひさしの「イーハトーボの劇列車」だった。
たくさんの映画や演劇のプロデュースに携わってきた本田さん。
劇団経営にも携わって、人間関係や、財政問題の様々な問題に直面し、一時は「こんな馬鹿馬鹿しいことはやめた!」と、、、本気で思ったこともあるらしい。
それでも、大好きな演劇から離れることがなかったのはなぜなのか?
本田さんは、
演劇はこのままではダメになってしまう、新しい演劇が必要なんだ。
演劇で一番大切なのは、脚本だ。私は自分のやっているスタイルを、プロデュース公演と呼ばれるのは好きではない。中心には作品があって、むしろ「レパートリーシステム」だ。集客の見込める人気者を主役にして企画を考える「スターシステム」になってしまうのは違う。
・・・って話を、私は本田さんから直接言われたわけではありません。普段から研究生に話していたこと、研究所で大切にしていたこと、と、私が演劇から離れた後、本田さんについて過去のインタビューを探していて、その内容を総合して私なりに言葉にまとめてみたのが、上記のような。
歳バレちゃうけどこれ、40年近く前の話なんです。その時、本田さんは研究生から、(裏で・・)本田のおじいちゃん、って呼ばれていた年齢。。。
同年代の仲間が、劇団の代表とかで「最近の演劇は、早口で捲し立てて、何をやっているかさっぱりわかりませんなあ」なんて言っている時でも、当時人気だった「つかこうへい」などもちゃんと評価していたことが、インタビューなどに残っています。
そんな本田さんがつくった五月舎・・・
地方山形に住んでいて演劇を観られる機会といえば、当時「労演」しかありませんでした。(あっただけ恵まれてる。)会を存続させるためには、より多くの人の満足が必要だったでしょう。そして保守的な土地柄。例会は、有名老舗劇団による演目がほとんどでした。
私は、ずーっと長いことタップと一緒に生きている。
出会ったきっかけは、高校卒業後に上京して学んだ演劇の研究所でだ。
劇団の付属の養成所とは違って、今ではもう当たり前になったけれども
作品に相応しい役者を、作品ごとに集める、というシステムを作ったプロデュース公演の先駆けとなったプロデューサーが、自分で役者を育てたい、と作った研究所。
ほとんど私財を投じて運営されていたので、研究生は受講料など払わずに、現役で活躍している演出家や批評家から指導や講義を受けることができたし、
(プロデューサー自らが選任した指導者から)歌唱、ダンス、地唄舞の授業を受けることができた。
なんて贅沢な環境にいたんだろう・・・・
そのプロデューサーが言っていたのは、(あまり口数が多くなく、直接研究生に話す機会は多くなかったが。)役者は、演技だけではダメだ。演技の他に、「これは誰にも負けない、と言えるくらいの特技を作りなさい」と強く言っていたのが、すごく心に残っている。
特技か・・・
研究所に入るまでは、山形という地方に住んでたこともあって、ダンス経験はなく
そもそも、肝心の演技も・・・・
入ってみたら、他の養成所修了者や、すでに舞台に立っている人など・・・
知らない、って最強だな!!(苦笑)
・・・私は、正統派ではなく、新感覚で勝負するわ〜
まずは、特技、特技。。。何か見つけなきゃ。。。。
ーーー続く(多分)