8日にまさかのインフルエンザの診断!!
私のことです。
病院に行けないじゃない!!
そう思ったものの、母が入院している病院に電話。
次の日は姉と姪っ子夫婦が母を見舞う予定。
その後、姉だけ残り、叔母のうちにお泊り予定だった。
私がインフルエンザだからね。
幸い早期なので早く治るだろうとのこと。
三連休明けには学校にも行けるだろうとのこと。
その夜病院から、叔母の家に電話。第二連絡先のためだ。
危篤の一報が入って、叔母と姉が、最後の対面をして、母は息を引き取った。
私は姉の電話でそれを知る。
なんという状況に亡くなったの?
しかし私は隔離され、姉と叔母たちが準備をしてくれた。
葬儀の準備です。喪主は長女である姉。
お通夜は12日、告別式と火葬は13日。新聞には出さず。と決まった。
私は12日と13日ともに出席できた。
母がインフルエンザにしてくれたように感じた。
もういいから、あとは姉に任せなさい。
お母ちゃんはもういいから。
ごめんね、何にもしてあげられなかったのに、私ばっかりゆっくり休んで。
心の準備は万端だったのに、早すぎると感じるこの気持ち。
87歳だからもう仕方がないという世間の感想。
確かに。
しかし、母をなくすという避けては通れないこの経験は、私だけのものじゃない。
今日はここまで。